=東御廻り=

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)





守礼門と首里城歓会門の中間にあります。石門と周辺一体の森のことを総称して園比屋武御嶽といいます。この御嶽は、国王が首里城を出て各地に巡行する祭に安全を祈願した拝所で、琉球国最高位神女・聞声大君(きこえおおぎみ (注1))の即位式の際にも最初にここでお参りし、斎場御嶽(せーふぁうたき)へと向かい即位式を行いました。国家行事や祭祀と密着した重要な御嶽です(美ら島物語より)。国王は城外に出かけるときは、必ず、この石門で祈願してから出かけます。石門は、神社でいう拝殿にあたります。毎年、11月に行われる「琉球王朝祭」の行列の際も、正殿を出たあと、ここで祈願をしてから出立しました。

何故、ここで祈願するのかについては、「琉球国由来記」には、国王がある大臣の家に行こうとしてこの御嶽の前にさしかかったとき、一人の老翁が現れ、大臣が逆心を抱いているから注意するように言って消えた。はたして、大臣は仲間を集めて国王の殺害を企てていた。神託によって危難を救われたというので、今に至るまで、国王が外出するときには必ずこの御嶽を拝礼して安全を祈願したとあります。

正面の垂木と門の間に額が掛かっています。「首里の王おぎやかもいがなし御代にたて申候、正徳十四年己卯十一月二十八日」と書かれてあります。「おぎやかもい」とは、尚真王の神号です。神号とは、王に即位するときに神女から神の託宣として授けられる名のことです。「もい」は敬称の接尾辞で、「がなし」は、「〜がない」でも「悲し」でもなく、「芭蕉布」という歌の3番の「今は昔の首里天加那志」に出てくる「加那志=がなし・じゃなし」と同じで、「〜様」という敬称の接尾語です。正徳十四年は1519年。つまり、額には、「首里の王、尚真王さまの時代に建てられた」ということが書かれています。現物は汚れで後半部分は読みづらくなっています。「おぎやか(注2)」というのは、尚真王の母の名前です。たまたま 渡久地十美子さんの「尚円王妃 宇喜也嘉-おぎやか-の謎」を読んでいたので、尚真王の母の名前に気がついただけですが、王の神号に何故 母の名を付けたのか、とても興味があります。

他の史跡と同様、沖縄戦の戦禍に見舞われ荒廃しましたが、昭和32年に守礼門とともに復元されました。ここへは昭和40年代の終わり頃から最近まで10回以上来ましたが、「そのひゃんうたきいしもん」は、何度聞いても名前が覚えられず、やっと最近、字を見なくてもスラスラと言えるようになりました。今は石門しか残っていませんが、この奥は、以前は、もっと深い森だったそうです。森全体が御嶽という一例です。現在伝えられている「東御廻り(あがりうまーい)(注3)」のコースは、琉球王国が国家的祭祀ルートとして指定したもので、園比屋武御嶽を出発地として与那原、佐敷の拝所を経て知念に入り、ティダ御川(うかー)を拝んで、斎場御嶽に至ります。さらに知念グスク、知念大川(ちねんうっかー)、ヤハラヅカサ、受水・走水(うきんじゅ・はいんじゅ)などをまわり、玉城グスクまでという行程で計14の聖地を巡ります。

(注1) 聞得大君…琉球王国の最高位の女神官。王女または王の姉妹が就任しました。国王を守護する「姉妹神」(おなり神)として、国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣・航海安全を祈願しました。

(注2)おぎやか…漢字で書くと「宇喜也嘉」。第ニ尚王統の祖である尚円金丸(尚円王)の正室です。尚円の死後、その弟・尚宣威が即位しましたが、6ヵ月後に追放し、13歳の我が子・尚真を王位につけ、幼少の国王を補佐し国政を支配しました。また、聞得大君という、神女の最高位の神職をもうけ、長女を初代の聞得大君に任命するなど、女帝として君臨しました。

(注3)東御廻り(あがりうまーい)…沖縄では太陽の昇る東方のことを「あがり」と呼び、理想郷「二ライカナイ」のある聖なる方角と考えられていました。首里城を中心として、太陽が昇る方向を東方(あがりかた)というところから、知念・玉城の拝所巡礼を「東御廻り」と称したそうです。その起源は 国王の巡礼といわれ、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたと伝えられています。



石門         世界遺産

 琉球王国のグスク及び関連遺産群

    園比屋武御嶽石門

2000年12月2日、「園比屋武御嶽石門は琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、ユネスコの世界遺産条約に基づく世界遺産リストに登録されました。全世界の人々のために保護すべき遺産として、特に優れて普遍的な価値があるものが、このリストに登録されます。

「園比屋武御嶽石門」の揮毫は、
       日本画家 平山郁夫氏

石碑には、このように書かれています


石門裏   石門の裏側に入るのは禁止されてはいませんが、ほとんどの人が裏側は見ないと思いますので撮影してきました。

裏側は左の写真のようになっています。残念ながら、以前はあったという大きな森はありません。その森を造ったときの土は、龍潭(首里城の池)を掘ったときに出てきた土を盛ったものだそうですが、今は大きく削られ、その痕跡さえ見ることもできません。落下防止の金網フェンスが張られており、城西小学校を見下ろすことができるだけです。


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