ハイホーの沖縄散歩=那覇地区=
琉球王国の政治、外交、文化の中心として威容を誇った首里城は、その役割から3つの空間があります。
(1)正殿・御庭などを中心とした「行政空間」
(2)聖地として崇められた京の内を中心とした「祭祀空間」
(3)国王とその家族、女官達が生活した「生活・儀礼空間」
平成4(1992)年から正殿をはじめ順次公開エリアを拡大してきましたが、平成31年2月1日からは、「御内原」エリアが復元公開されました。
御内原(おうちばら)とは、正殿の裏側にあたる一帯のことで、国王・家族やそれらに仕える多くの女官たちが生活する場所であり、王家を除いて男性禁制となってました。江戸城にたとえれば大奥にあたります。表方から王への取次ぎは女官たちが行いました。
御庭一帯が「表」という公的な空間であるのに対し、御内原は「内」という私的な空間であり、そこへの出入りは厳しく管理されていました。 御内原への出入口は、淑順門(しゅくじゅんもん)と寄満の中門で行われていました。また、御内原に関する祭祀・儀礼の際、女官たちが正殿1階と後之御庭(くしぬうなー)の間を行き来していました。
御内原には、国王または妃の居室・寝室である黄金御殿(くがにうどぅん)や二階御殿(にーけーうどぅん)、女官たちの詰所である女官居室(にょかん きょしつ)、王の即位の儀を行う世誇殿(よほこりでん)、先王を祀った寝廟殿(しんびょうでん)、王家の料理をつくる寄満(ゆいんち)、浴場と考えられる湯屋(ゆや)、宝物を保管していた金蔵(かねぐら)など、城内生活に関連する建物がありました。ただし、御内原に関しては資料が乏しいことから、不明な建物もあるそうです。
右掖門(うえきもん:淑順門などへ通じる門) | 淑順門(しゅくじゅんもん:御内原への表門) |
世誇殿(よほこりでん:国王が亡くなると、次期国王の即位の礼が行われた場所。右は内部) | |
女官居室(にょかんきょしつ) 御内原に勤める女官達の日常の生活の場 |
寄満(ゆいんち:王家の台所) |
金蔵跡(かねぐらあと:宝物を保管していた) | 白銀門(はくぎんもん:「寝廟殿」に詣でる国王専用の門) |
井戸(御内原に水を供給していた) | 寝廟殿跡(しんびょうでんあと) 国王が亡くなった際、その霊柩を一時、安置した場所。 |
東のアザナ(あがりのアザナ:左は北、右は東方向を見る) 城の東側に築かれた物見台で、首里城一帯や城下が見渡せた。 |
|
湯屋跡(ゆやあと:女官たちの風呂と考えられる) | 継世門(けいせいもん:普段は通用門だが、国王が亡くなると、城外に住む世継ぎの王子がこの門から城内に入り王位を継いだ) |
◎このサイトの首里城関連のページ
・首里城 ⇒ コチラから。
・守礼門 ⇒ コチラから。
・園比屋武御嶽石門 ⇒ コチラから。
・天山陵 ⇒ コチラから。
・琉球王朝祭 ⇒ コチラから。
ナビゲーションはトップページにあります。
TOPページへ