首 里 城


首里城正殿


沖縄の旅行ガイドブックには必ず登場するのが「首里城」です。沖縄への観光客が、平成28年は800万人を超えました。そのうち、250万人超が首里城を訪れます。その大半の方は「首里城は世界遺産」と思っているでしょう。私もそう思っていました。ところが、現在の首里城は世界遺産ではないというのです。

世界遺産に登録されたのは「首里城""("あと")」であり、復元された建物や城壁は世界遺産として登録されていないのです。では、何が登録されたのかというと、復元された首里城本殿の床の一部がガラス張りになっていますが、その下の遺構(戦災で残った石積み)部分ということだそうです。首里城のガイドさんが教えてくれました。「ホンマかいな、そうかいな!」と聞いてビックリでした。



世界遺産の首里城

床がガラス張りになっていて、下を覗きこむと、そこに遺構があります。世界遺産の
「首里城跡」とは、戦争でも破壊されることなく、今も残っている遺構のことです。


では、首里城について、ご説明しましょう。
残念ながら、首里城の創建年代については分かっていません。築城した人物も不明ですが、近年の発掘調査の結果から14世紀末のものではないかと考えられています。城下の東北部に龍潭(りゅうたん)という人口池がありますが、尚巴志王の命により1427年に造られたという記録があり、また、琉球王朝は1429年から1879年までの450年間にわたって存在しましたので、尚巴志が1429年に琉球王朝を開いた際に、王国の政治、外交、文化の中心地として、また、王家の居城としてふさわしい城を築いたのでしょう。

しかし、尚巴志は、何故ここに城を築いたのでしょう。私のイメージでは、城は攻められにくいような立地の所に造るのが普通なのでしょうが、実は、首里城のすぐ東に弁ヶ嶽という小高い丘があります。弁ヶ嶽は那覇市で一番高いところです。なぜ、弁ヶ嶽に造らなかったのか不思議に思ったので、図書館で首里城関係の本を読んでいったら、「琉球王国ぶらぶら散歩(おおき・ゆうこう、田名真之共著)」に、次のように書かれていました。

「首里グスクの周囲を散策してみた。わかったことは、首里グスクを取り巻くようににして、三つの御嶽があること。いずれも首里グスクを守る役割を果たしているようだ。北方に虎瀬山、東方に弁ヶ嶽、南方に雨乞嶽があり、三つとも首里グスクの高台に匹敵するような山で、どちらも三方、四方を見渡すことができ、首里グスクの様子を肉眼ではっきり確認することができる。どうやらこの三つの御嶽は、首里グスクの物見台とみられる。この三つの山と首里グスクの間は、迫状になっており、たとえ敵が三方の山を突破しても、敵は迫の底に入り込む形となり、逆に全滅させられる可能性がある」
ということなので、首里城は、難攻不落といわれていた今帰仁城よりも、もっと攻めにくい地形だったようです。

首里城は驚くべきことに、これまで4度も焼失にあっています。最初の焼失は1453年に第一尚氏の尚金福王の死去後に発生した政権争いによるものでした。2度目の焼失は1660年に起き、再建には11年もの歳月を要しました。3度目の焼失は1709年に起きた火災が原因でした。そして4度目は太平洋戦争中の沖縄戦です。日本軍が首里城の下に地下壕を掘って陸軍第32軍司令部を置いたことから、アメリカの軍艦から砲撃を受け、1945年5月27日に焼失しました。 私たちが目にすることができる現在の首里城は、3度目の火災の後に再建された首里城の姿を基にしており、4度目の焼失後の本格的な再建は、首里城公園の開園に合わせ1980年代末から本格的に行われるようになりました。

ところで、首里城が本土の城と大きく異なるのが、建物の外壁の色です。本土の城の多くは白壁、または黒壁ですが、首里城は朱色です。朱色の漆塗りです。また、瓦も赤瓦です。天守閣もありません。色と形は中国の紫禁城とよく似ています。朝貢していた中国文化の影響でしょう。城壁の石垣も本土の石垣と大きく異なります。本土の石垣は直線的に積まれていますが、首里城は曲線で積み上げられています。今帰仁城跡も座喜味城跡も同様です。理由は諸説あります。@ 強烈な台風の風に耐えられるよう。A 沖縄では曲がり角に魔物が住んでいるという言い伝えがあるので角を嫌った。B 石垣の材質が琉球石灰岩というサンゴの堆積してできたので、材質が比較的柔らかく加工が容易だった。こういった理由が考えられるようです。



玉座


首里城公園は、標高120メートル〜130メートルの小高い丘の上に立地しています。にもかかわらず、湧き水が出ています。それが、瑞泉門(ずいせんもん)の下にある龍樋(りゅうひ)です。「樋(ひ)」とは、河川などの水を放出させるための水門や管のことで、石造りの龍の口から水が湧き出していることから「龍樋」と名付けられ、王宮の飲料水として使われました。その龍樋のそばの碑には次の碑文が刻まれています。

「中山第一」(泉の水が量・質ともに中山第一の泉である)
「源遠流長」(源遠ければ流れ長しで、水が尽きない泉である)
「飛泉漱玉」(泉の水は玉が漱うように勢いよく飛び散っている)
「霊脈流芬」(よい泉の水はよい香りがある)

これらは泉の水を讃えた碑文です。沖縄には「瑞泉」という泡盛があります。この名は、龍樋のある瑞泉門から命名されたそうです。また、「おきなわ湧き水紀行(ぐしともこ著)」によると、この龍樋は、昭和30年ころ、琉球大学の図書館建設に伴い、水が出なくなってしまいました。しかし、城の復元の際、図書館を取り壊すと再び水が流れ出るようになったそうです。



龍樋


城内に「京の内」と呼ばれるエリアがあります(下の写真)。正殿の南西部にあり、一段高くなった丘陵部を指します。元は「けおのうち」といいました。「けお(気)」とは霊力を意味し、「京の内」には「霊力のある聖域」という意味があります。私も首里城に行くたびに通りますが、人の少ない時には、背筋が寒くなる思いをします。霊気を感じるのでしょうか。首里城内郭の2割を占めるほどの広さがあります。 ここは、古くから王朝祭祀が執り行われ、琉球王国の最高神女である聞得大君(きこえおおぎみ(注1))が神に祈った拝所でもあります。聞得大君は、琉球最高の御嶽(うたき)といわれる「斎場御嶽(せいふぁーうたき)(注2)」、首里城内の10御嶽などを管理して儀式を執り行っていました。「京の内」には、10御嶽のうち4嶽または5嶽が存在したのではないかと推測されており、城内では最も神聖な場所として崇められています。戦争と戦後の琉球大学の建設で破壊され、御嶽の名称は分かっていますが、場所は特定できないそうです。

御後絵  

平成29年12月8日から首里城の黄金御殿特別展示室で第二尚氏第17代の尚コウ王の「御後絵(おごえ)」の復元画が公開されました(コウは、さんずい偏に中が景、右に頁)。

御後絵とは、国王が亡くなった後に書かれた肖像画のことで、沖縄の文化史上において貴重な資料でした。絵は首里城北の円覚寺に納められていました。 しかし、先の大戦で寺ごと焼失し、現存する資料は、故鎌倉芳太郎氏が戦前に撮影したモノクロ写真10点だけでした。近年、それをもとに復元作業が進められ、今回、復元された尚コウ王の御後絵は、約3年の歳月を経て完成したものです。

首里城には、モノクロの御後絵は飾られていますが、カラーの復元図は、通常は展示されていません。今回は、復元を記念した企画展で公開されたものです。



(注1)聞得大君…琉球王国の最高位の女神官。王女または王の姉妹が就任しました。国王を守護する「姉妹神」(おなり神)として、国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣・航海安全を祈願しました。

(注2)斎場御嶽…詳しくは ⇒ コチラから

京の内


なお、首里城は琉球最大のグスクで面積は東京ドーム1個分の4万7千平方メートル。現在も発掘が続けられております。「行ってよかった日本の城」というHPがありますが、首里城は、平成26年は15位、同27年は17位、同28年は14位でした。ご参考までに沖縄で一番人気のある城と城跡は、中城城と勝連城が交互にトップに立っています。

下の写真は、首里城でもらったパンフレットに管理人が建物名を加筆したものです。

首里城俯瞰図


では、首里城で催される行事ついてお知らせします。ただし、これは過去の実績なので出かけられる場合は、主催者発表の最新情報を入手してください。下の1月の新春の宴は平成29年の予定表です。

◎1月 「新春の宴」

イベントプログラム 場 所 時 間 1日 2日 3日
御座楽の演奏 有料区域


御  庭
8:30〜8:50
朝拝御規式
第一部「子之方御拝」
10:00〜10:25  
朝拝御規式
第二部「朝之御拝」
10:50〜11:10  
朝拝御規式
第三部「大通り」
11:25〜11:50  
国王・王妃出御 10:00〜、11:00〜 各20分    
琉球芸能の宴 無料区域
下之御庭
12:30〜、13:30〜、14:30〜
15:30〜、16:30〜 各30分
お茶・甘酒の振る舞い 8:30〜※無くなり次第終了


芸能の宴


◎1月下旬〜2月
「首里城花まつり」… 期間中は約60万本を使用する花人形が展示されます。往時の琉球王朝の様子を花で再現し、琉球国王の姿、龍やシーサーなどの「琉球王朝花絵巻」は見事なものです。花でいっぱいの会場を楽しみながら、琉球舞踊や琉球音楽を見ることができます。またクイズラリーなどのイベントも組まれ楽しい散策ができることでしょう。夜間にはライトアップされた幻想的な首里城を見ることもできます。

◎1月〜2月
「首里城公園 琉球の華みぐい」…園内を色とりどりの草花や観葉植物たち3万株が咲き誇ります。

◎旧暦の8月15日 「中秋の宴」… 旧暦の8月15日の満月の光が届く首里城公園御庭特設ステージで行われる古式ゆかしいお月見のイベントです。琉球王朝時代に中国皇帝の使者であった冊封使をもてなすために催された冊封七宴のひとつ「中秋の宴」を再現したものです。月の出る18:30から行われ、古典舞踊や組踊などが披露されます。宴の中で一般公募で選ばれる国王・王妃の選出も行なわれます。

◎10月下旬〜11月上旬 「王朝祭り」 … 王朝時代を再現した琉球王朝絵巻行列など、様々なイベントがあります。琉球舞踊を始めとした伝統芸能、キャンドルで首里城を彩る万国津梁の灯火や地域物産展など、琉球王朝の繁栄を思い起こさせてくれる行事が多数開催されます。また、国際通りで開かれる琉球王朝絵巻行列と、首里城周辺で開かれる古式行列という2つのパレードがあります。
以下は平成28年の実施日です。
<伝統芸能の宴>
10月28日〜30日/首里城公園下之御庭(無料区域)
<冊封使行列・冊封儀式>
10月29日
冊封使行列  11時40分〜11時55分/守礼門〜下之御庭
冊封儀式 12時10分〜13時10分/首里城正殿前御庭
<琉球王朝絵巻行列>
10月30日 12時30分〜14時30分/那覇市国際通り
<万国津梁の灯火>
10月29日、30日17時〜21時/守礼門前、歓会門〜広福門、木曳門〜真珠道、龍潭周辺
<琉球王朝祭り首里「古式行列」>
11月3日12時50分〜15時30分
首里城正殿前御庭〜守礼門〜龍潭通り
※首里城正殿前御庭での観覧は、入館料金が必要

◎ このほか、「首里城公園企画展解説と御内原(未開園区域)見学会」、「首里城公園 図画・フォト作品展」、「日影台(日時計)解説会」、「百人御物参」、「企画展 黄金御殿特別展示室」、「首里城跡出土品展」など、いろいろなイベントが行われます。詳しくは、首里城の公式HPのイベント情報やお知らせをご覧ください。

以上、HP首里城公園、Wikipedia、HP世界遺産に行こう、TripAdvisor、HP沖縄観光ガイド、HP沖縄観光サイト、首里城公園管理センターが発行するパンフなどを参考に作成しました。



琉球王朝の宴

首里森御嶽 西のアザナ
城内の御嶽 "首里森御嶽(しゅいむいうたき)" 西のアザナ
首里城の跡地に琉球大学 首里城内に三角点
琉球大学だった1960年代の首里城跡 手前の池は龍潭 首里城で三角点を発見


首里城内の地図は、公園レストセンター内の総合案内所でもらえます。下の地図は、パンフレットからのcopyです。


案内地図


首里城の場所の地図をご覧になる方はコチラから ⇒首里城 繁忙時には首里城公園駐車場に入るのに大渋滞となります。特に首里城の開門時間(8:00〜)は、近隣の民間駐車場に入れたほうが早く入場できるときもあります。また、7月の第1水曜日とその翌日は、休園日です。首里城正殿内はもちろん、首里杜館のレストラン、売店もお休みです。駐車場にも入れません。お気をつけ下さい。なお、首里城公園駐車場は、1回320円(平成29年1月現在)ですが、民間の駐車場の料金はマチマチです。20分、30分単位のコインパーキングもあります。

◎このサイトの首里城関連のページ
 ・守礼門 ⇒ コチラから
 ・園比屋武御嶽石門 ⇒ コチラから
 ・天山陵 ⇒ コチラから
 ・琉球王朝祭 ⇒ コチラから


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