=東御廻り=

佐敷上(うぃ)グスク


佐敷上グスク
鳥居があって神社のようですが神社ではありません。沖縄で鳥居があるところは先祖を祀っている場所です。


通称は佐敷グスクと呼ばれますが、地元では上(うぃ)グスクとも呼ばれています。国道331号沿いにある佐敷小学校裏の丘陵の上に建てられグスクで、琉球三山統一を果たした尚巴志(しょうはし・注1)と、その父である思招(ししょう)の居城でした。名称がグスクですから居城といいましたが、他のグスクにみられるような石積みの城壁は発見されていませんので、一般にいう「城」ではなく「屋敷」と言った方がいいかもしれません。

尚巴志は大里城を攻め落としたのち、この佐敷グスクより居を移しました。中城湾や勝連半島を一望できる高台にありますので、久高島も望むことが出来ます。平成12~14年の発掘調査により、土器、須恵器、青磁、白磁、東南アジアの陶器、鉄製品、おはじき、碁石、古銭、飲食物残滓などが出土し、場所により時代の幅はありますが、13~18世紀のものと判断されました。現在この地には、尚巴志500年祭を機に、佐銘川大主・思招・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳の8体を合祀した「月代(つきしろ)の宮」が建立されています。「月代(つきしろ)」とは、思招の住んでいた苗代にあったと伝えられる霊石の名称で、第一尚氏の守護神です。平成16年、南城市指定の史跡となりました。拝所巡礼「東御廻り(注2)」のコースのひとつです。





(注1)尚巴志…思紹王の子で、琉球王国・第一尚氏王統、第2代目の国王(在位:1422年 - 1439年)。21歳のとき、父の後を継いで南山の佐敷按司となり、1406年、中山王武寧を攻撃して察度王朝を滅亡させ、首里(現在の那覇市)を首都としました。1416年、北山国を討伐し、1429年、南山王他魯毎を滅ぼして三山を統一、第一尚氏王統による琉球王国最初の統一王朝を成立させました。
在位中は首里城を拡張整備し、王城にふさわしい城とし、あわせて安国山(あんこくざん:龍潭を掘った土で造った人造丘。現在の城西小学校辺りと思われます)に花木を植え、中山門(1428年、都の造営時に造られた門で、現在の首里高校の南角にありました。明治41年に老朽化で取り壊され現存しておりません。この門が首里城の第一の門で、守礼門は第二の門)を創建し外苑を整備しました。また、那覇港の整備を進め、中国(明)をはじめ日本、朝鮮、南方諸国等、海外諸国との交易を盛んに行い、琉球の繁栄の基礎をもたらしました(wikipedia、カッコ内は、サイトの管理人が補足)。

(注2)東御廻り…琉球王朝時代に、国王が創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事で、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたといいます。その後、民間へと広まっていったそうです。守礼門と首里城歓会門の中間にあり、現在は世界遺産になっている「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」で旅の安全を祈願してスタートし、そこから首里から見て太陽の昇る方(東方/あがりかた)、つまり現在の南城市佐敷、知念、玉城方面へと聖地は続いていきます。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 佐敷上グスク 国道331号線沿いの大きな鳥居をくぐって坂道を登っていきます。石段の前に車を止めることができます。



◎このサイトでご紹介している「東御廻り」の史跡などです。(タイトルをクリックしてください)

・園比屋武御嶽 ・御殿山
・与那原親川 ・場天御嶽
・佐敷上グスク ・テダ御川
・斎場御嶽 ・知念グスク
・知念大川 ・久高島
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・浜川御嶽 ・ヤハラヅカサ
・受水・走水 ・仲村渠樋川
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