=東御廻り=

ミントングスク


ミントングスクの入口 ミントングスク


玉城地区字仲村渠(なかんだかり)にあります。ミントングスクという不思議な名前ですが、ニライカナイ(注1)からやってきた琉球開闢の祖、アマミキヨ(注2)がヤハラヅカサに上陸して、とりあえず浜川御嶽に住まい、その後、安住の地として、ここミントンの森に住み着いたとされています。この地で その子孫が繁栄し、沖縄各地に広がっていったと伝えられ(「沖縄の城郭」新城徳祐氏著)、拝所巡礼「東御廻り(注3)」をめぐる聖地としても名高く、県指定史跡文化財となっています。

標高110メートルという高い所に位置する古いグスクです。グスクといっても石垣は確認されていないので、城というより住居だったかもしれません。また、この周囲からは磨製石斧や先史時代の土器片、シャコ貝のかけらや多数の貝殻が発掘されていますので、当時の人々が貝を獲ってきて食料にしていたことが分かります。

ただし、この史跡は、知念さんという方の住宅を兼ねた個人の所有で、見学するには、このお宅の庭から入らねばなりません。また、県道137号線に面していますので、車を止めておく場所がありません。私は中型バスで行きましたので、離れたところから眺めただけです。このため、上の写真は沖縄インフォーメーションさんからお借りしました。このサイトに「東御廻り」のすべての聖地をご紹介したかったので、ミントングスクを入れないと1ヵ所だけ欠けてしまいます。そのため、車を止める場所の案内以外、ネット情報のみでこのぺージを作成しました。ネット情報では、石の階段を上ると道が細くなり、グスクの頂上付近の岩陰や小洞窟には神墓と称されている拝所があるそうです。

なお、アマミキヨの伝説は、県内各地に残っており、うるま市の浜比嘉(はまひが)島のシルミチュー霊場にも住んでいたとされています。また、琉球開闢神話では、アマミキヨだけでなく、シネリキヨという男の神さまがいて、二神の子供が琉球人の先祖という話も伝わっています。



(注1)ニライカナイ…琉球諸島で海の彼方や海底にあると信じられる理想郷の名称で、来訪神信仰の一つ。ニルヤカナヤともいいわれ、東の水平線の彼方にあるとされます。神々が来訪してこの世の人々を祝福する儀礼や伝承は南島各地にみられ、稲や粟の種子も元来ここからもたらされたといわれています。「ニライ」は「根の方」、「カナイ」は「彼方」を意味する説など、諸説あります。

(注2)アマミキヨ…太陽の神が下界に「アマミキヨ ・シネリキヨ」の2神を送り、国造り、島造りを命じたとする琉球の神話。九州から奄美を経て沖縄に渡来した種族、つまり、アマミ(奄美)のキヨ(人)という説もあります。

(注3)東御廻り…琉球王朝時代に、国王が創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事で、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたといいます。その後、民間へと広まっていったそうです。守礼門と首里城歓会門の中間にあり、現在は世界遺産になっている「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」で旅の安全を祈願してスタートし、そこから首里から見て太陽の昇る方(東方/あがりかた)、つまり現在の南城市佐敷、知念、玉城方面へと聖地は続いていきます。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ ミントングスク 出かけられる方は、200メートルほど離れた仲村渠樋川の駐車場に車を止めて歩いて行き、所有者の方に入場のお断りをして、管理費用協力金の箱に100円?を入れてください。無断で立ち入る人が多いので、所有者の知念さんはご立腹だとネットにありました。 



◎このサイトでご紹介している「東御廻り」の史跡などです。(タイトルをクリックしてください)

・園比屋武御嶽 ・御殿山
・与那原親川 ・場天御嶽
・佐敷上グスク ・テダ御川
・斎場御嶽 ・知念グスク
・知念大川 ・久高島
・アイハンタ御嶽 ・藪薩御嶽
・浜川御嶽 ・ヤハラヅカサ
・受水・走水 ・仲村渠樋川
・ミントングスク ・玉城グスク

  ナビゲーションはトップページにあります。

   TOPページへ

Copyright © 2015 ハイホーの沖縄散歩 
logo