=東御廻り=

場天御嶽(ばてぃんうたき)


場天御嶽


場天御嶽は琉球統一を果たした尚巴志(しょうはし)の祖父にあたる佐銘川大主(さめがわおおぬし)の住居跡に祀った拝所です。 佐銘川大主は伊是名島の出身ですが、島民に迫害されて本島北部に逃れ、その後、本島南部の佐敷間切新里村の場天に移り住んだといわれています。

この御嶽も、王朝時代には琉球国王や聞得大君(きこえおおぎみ(注1))の東御廻り(注2)拝所の一つですが、元の場所は昭和34年に降った大雨のために地盤が崩壊して埋まってしまい、現在はイビ御嶽があるイビの森といわれるこんもりとした森のなかに、上場天御井戸(うぃーばてぃんうかー)・下場天御井戸(しちゃばてぃんうかー)、伊平屋神(いへいやがみ=やまとぅばんた)、御天竺神(うてぃんぢくがみ)などとともに場天御嶽も移築されました。どの御嶽も王(尚氏)と深く結びついた聖地であり、東御廻りの重要な拝所です。

なお、池上永一氏の小説『テンペスト』に登場する 寧温の家の大木から現れた馬天ノロの勾玉は、「場」と「馬」と文字は違いますが、この場天御嶽のノロが受け継いできたものです。馬天ノロは、小説では、第一尚氏王朝時代の初代聞得大君という設定です。

ここに着いた途端、叩きつけるような壕雨となり、早々に立ち去りました。上の写真の中に映り込んでいるのは、雪ではありません。雨粒です。


(注1) 聞得大君…琉球王国の最高位の女神官。王女または王の姉妹が就任しました。国王を守護する「姉妹神」(おなり神)として、国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣・航海安全を祈願しました。
(注2) 東御廻り…琉球王朝時代に、国王が創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事で、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたといいます。その後、民間へと広まっていったそうです。守礼門と首里城歓会門の中間にあり、現在は世界遺産になっている「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」で旅の安全を祈願してスタートし、そこから首里から見て太陽の昇る方(東方/あがりかた)、つまり現在の南城市佐敷、知念、玉城方面へと聖地は続いていきます。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 場天御嶽 人家の少ない小高い森にあります。専用の駐車場は見当たりませんでした。国道331号線の曲がる所に案内標識が立っています。



◎このサイトでご紹介している「東御廻り」の史跡などです。(タイトルをクリックしてください)

・園比屋武御嶽 ・御殿山
・与那原親川 ・場天御嶽
・佐敷上グスク ・テダ御川
・斎場御嶽 ・知念グスク
・知念大川 ・久高島
・アイハンタ御嶽 ・藪薩御嶽
・浜川御嶽 ・ヤハラヅカサ
・受水・走水 ・仲村渠樋川
・ミントングスク ・玉城グスク

  ナビゲーションはトップページにあります。

   TOPページへ

Copyright © 2015 ハイホーの沖縄散歩 
logo