=東御廻り=

ヤハラヅカサ


ヤハラヅカサ


南城市玉城百名海岸の波打ち際に、上の写真のような石碑が立っています。そこには「ヤハラズカサ」の文字が刻まれています。海岸から沖合のリーフまでの海はイノー(礁池)と呼ばれるサンゴ礁の海です。この海に広がるイノーは、数キロにも及びます。

琉球の創世神アマミキヨ(注1)が海の彼方にある神々の住む理想郷「ニライカナイ(注2)」から久高島に降り立ったあと、続いて沖縄本島に上陸したとき、最初に足に降ろした場所とされているのが、ここヤハラヅカサです。

アマミキヨはここから浜川御嶽を経て、ミントングスク、玉城グスク、知念グスクへと歩みを進めて行ったと伝えられています。久高島が望める百名ビーチの北端の海の中にあり、琉球石灰岩で作られた石碑は満潮時には水没し、干潮時には姿全体を見ることができ、香炉も見えます。この日は、上の写真のようにヤハラヅカサの文字は見えましたが、姿全体は海の中でしたので、南城市のHPの画像をお借りして、干潮時の画像をお見せします。歩いて渡れそうです。

国王や聞得大君(きこえおおぎみ(注3))は、4月の稲穂祭(初穂儀礼)のとき、東御廻い(あがりうまーい(注4))しました。現在でも、一般の方々が、旧暦の正月などに参拝します。


(注1)アマミキヨ…太陽の神が下界に「アマミキヨ ・シネリキヨ」の2神を送り、国造り、島造りを命じたとする琉球の神話。九州から奄美を経て沖縄に渡来した種族、つまり、アマミ(奄美)のキヨ(人)という説もあります。

(注2)ニライカナイ…琉球諸島で海の彼方や海底にあると信じられる理想郷の名称で、来訪神信仰の一つ。ニルヤカナヤともいわれ、東の水平線の彼方にあるとされます。神々が来訪してこの世の人々を祝福する儀礼や伝承は南島各地にみられ、稲や粟の種子も元来ここからもたらされたといわれています。「ニライ」は「根の方」、「カナイ」は「彼方」を意味する説など、諸説あります。

(注3)聞得大君…琉球王国の最高位の女神官。王女または王の姉妹が就任しました。国王を守護する「姉妹神」(おなり神)として、国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣・航海安全を祈願しました。

(注4)東御廻り…琉球王朝時代に、国王が創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事で、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたといいます。その後、民間へと広まっていったそうです。守礼門と首里城歓会門の中間にあり、現在は世界遺産になっている「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」で旅の安全を祈願してスタートし、そこから首里から見て太陽の昇る方(東方/あがりかた)、つまり現在の南城市佐敷、知念、玉城方面へと聖地は続いていきます。


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ ヤハラヅカサ 国道331号線の百名橋の交差点(信号あり)を海に向かって進むと、左に浜川御嶽800mの標識とCafeシーサイドの看板があります。ここを左折しても行けますが、受水・走水にも行くなら直進し、みーばるマリンセンターの看板で左折すると、受水・走水、浜川御嶽、ヤハラヅカサの3ヵ所に行けます。迷惑にならないように路駐します。



◎このサイトでご紹介している「東御廻り」の史跡などです。(タイトルをクリックしてください)

・園比屋武御嶽 ・御殿山
・与那原親川 ・場天御嶽
・佐敷上グスク ・テダ御川
・斎場御嶽 ・知念グスク
・知念大川 ・久高島
・アイハンタ御嶽 ・藪薩御嶽
・浜川御嶽 ・ヤハラヅカサ
・受水・走水 ・仲村渠樋川
・ミントングスク ・玉城グスク

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