=東御廻り=

藪薩御嶽(やぶさつうたき)


藪薩御嶽
狭い道の真ん中にあります。御嶽の石を踏まないよう気をつけてください。


「藪薩御嶽」は、琉球開闢七御嶽(注1)の一つで、「琉球国由来記」には、「此藪薩、阿摩美久、作り給ふ」とあります。また、「中山世鑑」にも同様のことが記されております。つまり、ここは琉球の創造神アマミキヨ(注2)によって創生された御嶽であり、東御廻い(あがりうまーい(注3))で巡拝する聖地なのです。

なお、御嶽とは、森(むい)や御願所(うがんじゅ)、グスクなどと呼ばれる聖地の総称です。森とは、土や岩、または樹木などが生い茂る、高く盛り上がった時計のことを言います。御嶽の中には、「いび」と呼ばれる霊石が祀られ、その前には香炉が置かれています。森は、大和では「もり」と読みますが、沖縄では「むい」と発音します。沖縄の言葉の「お」の段は、「う」の段の発音に変化します。ですから「もり」ではなく、「むい」となります。同様に「え」の段は、「い」の段になります。「米-こめ」は、「くみ」、「嫁-よめ」は「ゆみ」と発音します。

御嶽からさらに奥に進むと石造りのテーブルと椅子が2セット置かれ、休憩所となっています。そこから海を見渡す絶景が広がります。眼下にアドチ島、彼方に久高島も遥拝できます。浜川御嶽、ヤハラズカサ、潮花司、受水・走水などなど、このあたり一帯を総称して藪薩の浦原(うらばる)といい、昔から聖地として崇められてきました。

なお、藪薩御嶽は、百名の海を見下ろす崖の上にあります。藪薩とは、崖葬地を意味しています。つまり、藪薩御嶽の崖下は風葬地域であったと思われます。


(注1)琉球開闢七御嶽…アマミキヨによって造られた御嶽。以下、造られた順番。
  ・安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土 ⇒ コチラから
  ・クバ御嶽:今帰仁村
  ・斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念 ⇒ コチラから
  ・薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
  ・雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城グスク内 ⇒ コチラから
  ・クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)⇒ コチラから
  ・首里真玉森御嶽(しゅいまだむいうたき):首里城内
このうち、"首里真玉森御嶽" は、沖縄戦と首里城改築工事による整備で失われたそうです。名称の似ている "首里森御嶽(しゅいむいうたき)" は、首里城内の下之御庭(しちゃぬうなー)という場所に復元されています。クバ御嶽以外、現存する5ヶ所を、このサイトにUPしました。上の御嶽⇒にリンクしてあります。なお、上記の上から2ヶ所以外は、南部に集中しています。

(注2)アマミキヨ…太陽の神が下界に「アマミキヨ ・シネリキヨ」の2神を送り、国造り、島造りを命じたとする琉球の神話。九州から奄美を経て沖縄に渡来した種族、つまり、アマミ(奄美)のキヨ(人)という説もあります。

(注3) 東御廻り…琉球王朝時代に、国王が創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事で、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたといいます。その後、民間へと広まっていったそうです。守礼門と首里城歓会門の中間にあり、現在は世界遺産になっている「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」で旅の安全を祈願してスタートし、そこから首里から見て太陽の昇る方(東方/あがりかた)、つまり現在の南城市佐敷、知念、玉城方面へと聖地は続いていきます。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 藪薩御嶽 国道331号線から市営百名団地の交差点(信号あり)を海方向に向かうと "cafeやぶさち" さんがあります。その第二駐車場の奥の道を進むと“ヤブサツ御嶽”と書いた道標があり、それに従って進むと林の中に拝所があります。

◎このサイトでご紹介している「東御廻り」の史跡などです。(タイトルをクリックしてください)

・園比屋武御嶽 ・御殿山
・与那原親川 ・場天御嶽
・佐敷上グスク ・テダ御川
・斎場御嶽 ・知念グスク
・知念大川 ・久高島
・アイハンタ御嶽 ・藪薩御嶽
・浜川御嶽 ・ヤハラヅカサ
・受水・走水 ・仲村渠樋川
・ミントングスク ・玉城グスク

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