=東御廻り=

浜川御嶽(はまがわうたき)


浜川御嶽
浜川御嶽


浜川御嶽は、旧玉城村百名(たまぐすくそん ひゃくな)にある御嶽です。この場所は、琉球創世の神といわれるアマミキヨ(注1)がヤハラヅカサに降り立った後、仮住まいをした地とされています。この場所でアマミキヨは、クバの葉をつなぎ合わせて身にまとうものを作って着たそうです。この地は湧き水が豊富なことから、浜辺にある泉という意味で浜川と呼ばれました。アマミキヨはこの水で疲れを癒し、近くの洞窟にしばらく住んだのちに、現在の仲村渠集落にあるミントングスクに移り住んだといわれ、首里城の東方にある聖地を巡拝する、東御廻り(アガリウマーイ(注2))で訪れる拝所のひとつです。琉球の国王や琉球信仰の女神官である「聞得大君(キコエオオギミ(注3))」もこの地を訪れて参拝したといわれています。



潮花司(すーばなづかさ(注4))の香炉 神域霊域を示す
由緒書き 浜川御嶽(正面)


現地の由緒書きには、次のとおり記されています。
市史跡 浜川御嶽(神名 ヤマハラヅカサ潮バナツカサの御イベ)
昔、アマミキヨ(島始の神)がギライカナイ(注5)(海の彼方の理想国)からヤハラヅカサ(前方50mの海中にある。ギライカナイへの遙拝所となっている。)に上陸し浜川御嶽にしばらく仮住まいした後、今のミントングクスに、安住の地を開いたという。
この地は霊域として東御廻いの拝所である。
昭和52年7月21日 指定
南城市教育委員会



(注1)アマミキヨ…太陽の神が下界に「アマミキヨ ・シネリキヨ」の2神を送り、国造り、島造りを命じたとする琉球の神話。九州から奄美を経て沖縄に渡来した種族、つまり、アマミ(奄美)のキヨ(人)という説もあります。

(注2)東御廻り…琉球王朝時代に、国王が創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事で、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたといいます。その後、民間へと広まっていったそうです。守礼門と首里城歓会門の中間にあり、現在は世界遺産になっている「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」で旅の安全を祈願してスタートし、そこから首里から見て太陽の昇る方(東方/あがりかた)、つまり現在の南城市佐敷、知念、玉城方面へと聖地は続いていきます。

(注3)聞得大君…琉球王国の最高位の女神官。王女または王の姉妹が就任しました。国王を守護する「姉妹神」(おなり神)として、国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣・航海安全を祈願しました。

(注4)潮花司…海の彼方のニライ・カナイへ向かって遥拝するところ。

(注5)ギライカナイ…ニライカナイのこと。琉球諸島で海の彼方や海底にあると信じられる理想郷の名称で、来訪神信仰の一つ。ニルヤカナヤともいわれ、東の水平線の彼方にあるとされます。神々が来訪してこの世の人々を祝福する儀礼や伝承は南島各地にみられ、稲や粟の種子も元来ここからもたらされたといわれています。「ニライ」は「根の方」、「カナイ」は「彼方」を意味する説など、諸説あります。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 浜川御嶽 国道331号線の百名橋の交差点(信号あり)を海に向かって進むと、左に浜川御嶽800mの標識とCafeシーサイドの看板があります。ここを左折しても行けますが、受水・走水にも行くなら直進し、みーばるマリンセンターの看板で左折すると、受水・走水、浜川御嶽、ヤハラヅカサの3ヵ所に行けます。迷惑にならないように路駐します。



◎このサイトでご紹介している「東御廻り」の史跡などです。(タイトルをクリックしてください)

・園比屋武御嶽 ・御殿山
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