=東御廻り=

テダ御川(てぃだ うかー)


テダ御川
左に見えるコンクリート片は、岩の倒壊を防ぐための支柱

駐車場から海沿いの道を歩きます 以前は案内板がありましたが
平成23年の台風9号で破壊されました


南城市知念知名崎の海岸にある泉です。「テダ」とは太陽のことですが、琉球国王のことも畏敬の念をこめてテダと呼ばれていました。発音するときは「ティダ」になります。国王や聞得大君(注1)が久高島を参拝する途中、ここに立ち寄り豊かに湧き出る水を飲んで休息をとって、海上の旅の無事を祈ったところです。


台風で破壊される前にあった案内板の写真をNETで見つけました。そこには、次のように記されていました。『知念村指定文化財第四号、昭和57年5月31日指定(途中略、上に書いた内容と同じ)ここは、東御廻り(注2)の巡拝地である。昭和8年までは清水が湧き出る泉であったが、後方の知名城の山から、「トラバーチン(注3)」という石材が産出し、一帯は採石場となった。そのため、知名城の山は崩壊し、現在では湧き水も枯れてしまっている。知念村教育委員会』



(注1) 聞得大君(きこえおおきみ)…琉球王国の最高位の女神官。王女または王の姉妹が就任しました。国王を守護する「姉妹神」(おなり神)として、国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣・航海安全を祈願しました。

(注2)東御廻り(あがりうまーい)…琉球王朝時代に、国王が創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事で、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたといいます。その後、民間へと広まっていったそうです。守礼門と首里城歓会門の中間にあり、現在は世界遺産になっている「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」で旅の安全を祈願してスタートし、そこから首里から見て太陽の昇る方(東方/あがりかた)、つまり現在の南城市佐敷、知念、玉城方面へと聖地は続いていきます。

(注3)トラバーチン…琉球石灰岩と同じ種類で、水に溶けている炭酸カルシウムという成分が沈殿してできたもの。磨くと美しくなる高級石材だったため、国会議事堂の建設には沖縄で産出されたものが使われた。戦前は日本のすべての需要をまかなうほど採掘された。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ テダ御川 知名崎の無料駐車場が利用できます。ここから海に沿ってコンクリートの道を300メートルほど歩きます。以前は知名崎灯台からも行けたようですが、歩く人が少なくなって雑草が生い茂っています。



◎このサイトでご紹介している「東御廻り」の史跡などです。(タイトルをクリックしてください)

・園比屋武御嶽 ・御殿山
・与那原親川 ・場天御嶽
・佐敷上グスク ・テダ御川
・斎場御嶽 ・知念グスク
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