=東御廻り=

仲村渠樋川(なかんだかり ひーじゃー)


仲村渠樋川
「いきががー」と呼ばれる男性用の水場です。

こちらは女性用の水場「いなぐがー」です 沖縄の井泉では珍しい五右衛門風呂です


沖縄の「湧き水ファン倶楽部」代表のぐしともこさんによれば、県内には1,236の湧き水があり、そのうち、南城市には408と県内では最も多くの湧き水があるそうです。ここもその一つです。

玉城字仲村渠にあります。仲村渠は「なかんだかり」と読みます。地名が起源ですが、苗字由来netによれば、この名前を持つ人は、全国に3,000人いるそうです。もちろん沖縄固有の名前です。この樋川は仲村渠集落の共同用水施設で、国指定重要文化財になっています。古くは「うふがー」と呼ばれました。大きい井泉という意味です。大正元年(1912)から翌年にかけて、津堅島の石工が、それまで木製の樋だったのを、琉球石灰岩などを用いて造り替えたといいます。この樋川も聖泉として東御廻り(あがりうまーい(注))時に拝まれています。

上の写真で、三ヵ所の水の出口のある場所は「いきががー」と呼ばれる男性用の水場で、その右に石積みで仕切られた女性用の水場「いなぐがー」があります。敷地の北側から湧水を貯水槽に貯え、水場に流して使用します。ところで、珍しいものがありました。上の写真:右の五右衛門風呂です。他の樋川では見たことがありません。説明によると、共同風呂は、発掘調査により発見された出土品などをもとに復元されたそうですが、使っているような形跡はありませんでした。平成16年に復元されたそうですが、いかにも新しそうで史跡としてはアンマッチな気がします。また、沖縄の人は浴槽にドボンとつかる習慣がないのに、どうして五右衛門風呂があるのか、よく分かりません。沖縄では、風呂場はあっても浴槽のない家が多いのです。以前、私の所属するサークルの方にお聞きしたら、浴槽がある家の方でも 「一年に何回使うかなぁ」というくらい、めったに使わないと言っておられました。詳しくお知りになりたい方は ⇒ コチラから

(注) 東御廻り…琉球王朝時代に、国王が創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事で、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたといいます。その後、民間へと広まっていったそうです。守礼門と首里城歓会門の中間にあり、現在は世界遺産になっている「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」で旅の安全を祈願してスタートし、そこから首里から見て太陽の昇る方(東方/あがりかた)、つまり現在の南城市佐敷、知念、玉城方面へと聖地は続いていきます。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 仲村渠樋川 県道137号の仲村渠バス停(道路の西側にある方)を少しだけ下って北に向かう路地に入り、仲村渠児童館の手前を右に曲がり石畳の坂を下ります。車の方は児童館の前の道を右折して下ると駐車場があります。



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