根元家(ねもとけ)の石垣(渡嘉敷島)


根元家
往時の根元家の財力をうかがわせる石垣、中央に見えるのはヒンプン。


根元家の石垣は、渡嘉敷港から阿波連(あはれん)集落に向かう道筋にあります。私が渡嘉敷島で見たなかでは一番、印象に残る史跡でした。石垣だけを見ると、本島の南城市富名腰(ふなこし)集落の上門家(うぃーじょーやー)の石垣に匹敵するほど立派なものです。

根元家は琉球王朝時代に唐船の船頭として活躍し、繁栄した家です。石垣は石灰岩を積み上げて作られたもので、高さが2m以上もあり、厚さも相当のものです。まるで城郭の石垣のようで、とても個人住宅のものとは思えません。入り口を入ると家の中が見えないようにヒンプン(注)がありますが、現在は屋敷の姿はなく、民家のような平屋の建物があるだけです。この石垣は村の有形文化財に指定されています。

現地の案内板には次のとおり記されています。
「根元家の石垣」 村指定有形文化財
字渡嘉敷45番地の屋号「根元」家の石垣は、渡嘉敷村に残る貴重な文化遺産である。
当家は、琉球王朝時代にこの島の男たちが水主(唐や薩摩へ行く船の乗組員)として唐船(進貢船・接船)や(薩摩へ行く御用船)で活躍した頃に繁栄したと伝えられている。その中でも根元家は代々渡唐船の船頭を勤めていたことによる「唐儲け」により石垣を築き上げたといわれており、往時の財力がうかがえる。

屋敷を囲む石垣や、内にあるヒンプンはどれも精巧に切り取られた石灰岩を正確に積み上げられており、現在のような道具もなかったであろう時代の職人技のすばらしさをかいま見ることができる立派な石垣である。
平成9年3月に東側の一部を、平成25年2月に北側の一部を修復復元している。
平成8年12月3日指定 渡嘉敷村教育委員会

(注)ヒンプン…琉球建築の民家における典型的な様式のひとつで、門と母屋との間に設けられる「目隠し」をいい、中国語の屏風(ピンプン)に由来するといわれている。「魔除け」の役割もある(Weblioより)。



根元家 根元家


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