船蔵御獄(ふなぐらうたき:渡嘉敷島)


海神宮


船蔵御獄(ふなぐらうたき)は、海神宮の敷地内にあります。海神宮が船蔵御嶽内にあるのかもしれません。両者は隣り合っています。村のHPによれば、毎年2月1日の海の御願では、豊漁を祈願する祭りが行われます。海の御願ではユイムンカヤ−ムン(寄り物を捕り運ぶの意味)のウミシルターと呼ばれる字の若者が裸になってかごに魚を捕るまねをし、海からさかなを持ってくる行事が行われ、ウムイ(注)も歌われます。また、海の神ということで、船の修理や進水式などのとき、さらに進貢船や漁船が沖を通るとき、正月の船のハチウクシー(仕事初め)のときなども必ずこの御獄で祈願を行ったのです。

(注)ウムイ…宮古・八重山以外の沖縄諸島に伝わる古い宗教儀式歌。祝女(のろ:女性の司祭)や神人(かみんちゅ:巫女)たちが豊作を祈る御祭(うまちー)や豊漁・航海安全を祈る海神祭(うんじゃみ)などの祭祀の際に,鼓(ちぢん)を打ちながらあるいは手拍子で歌う。奄美群島ではオモリという(コトバンクより)。

ところで、昔、渡嘉敷では、祭りの仕方がよくわからず豊見城間切の座波村からハチレー加那志、同じく豊見城間切の渡嘉敷村からクシレー加那志という祝女が派遣されてきました。この二人は、渡嘉敷村での祭りを行っていたのですが、勤めの途中で亡くなったので殿内には祀られずに、海神宮の後ろに葬られています。


 
船蔵御嶽 ノロの墓
御嶽内部 ノロの墓


なお、前述の豊見城間切から祝女を呼んだという話ですが、豊見城間切というのは、本島の豊見城のことです。同市渡嘉敷の豊見城グスクには渡嘉敷島への遙拝所があり、「慶良間(渡嘉敷) 海神宮(船蔵御嶽) 御通し」と刻まれた石碑が立っています。 なぜか豊見城と縁があるように思われます。 これは「渡嘉敷村史」にも掲載されています。



渡嘉敷グスク


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 船蔵御獄



◎このサイトでご紹介している渡嘉敷島の名所・史跡などについては、次の ⇒ コチラからとリンクしています。
・赤間山の烽火台跡 ⇒ コチラから
・阿波連 ⇒ コチラから
・阿波連園地 ⇒ コチラから
・ウニギラマの伝説 ⇒ コチラから
・海神宮 ⇒ コチラから
・学問の神様 ⇒ コチラから
・旧日本軍「特攻艇」の秘匿壕 ⇒ コチラから
・クバンダキ展望台 ⇒ コチラから
・クミチジ山 ⇒ コチラから
・白玉之塔 ⇒ コチラから
・戦跡碑 ⇒ コチラから
・照山 ⇒ コチラから
・渡嘉敷神社 ⇒ コチラから
・とかしくビーチ ⇒ コチラから
・根元家の石垣 ⇒ コチラから
・船蔵御嶽 ⇒ コチラから
・船越原遺跡 ⇒ コチラから
・前島 ⇒ コチラから

  ナビゲーションはトップページにあります。

   TOPページへ

Copyright © 2015 ハイホーの沖縄散歩 
logo