白玉之塔(しらたまのとう)・渡嘉敷島集団自決跡地(渡嘉敷島)


白玉の塔


沖縄戦で米軍が最初に上陸したのは慶良間諸島。渡嘉敷島の北部、慶良間諸島の中で1番高い標高227mの赤間山中腹にある「白玉之塔」は、慶良間戦で追い詰められた末に自決した島民や、日本兵ら約594柱の犠牲者を仰ぎ祀られている慰霊塔です。場所は渡嘉敷港から国立青少年交流の家に向かう途中の右側にあります。

昭和20(1945)年3月23日から米軍による空爆と艦砲射撃が始まり、同月27日、渡嘉敷島に米軍の侵略部隊が上陸しました。人々は、北端の北(にし)山に追込まれ、翌28日、かねて指示されていたとおりに集団自決(集団自決の言葉は自分の意志で行ったとも解釈できるので、現在は、強制集団死と表現しているようです)し、いくつもの命が失われました。 そして、毎年3月28日を慰霊の日(住民玉砕の日)と定め、本土や沖縄本島から遺族が参列して慰霊祭が催されています。

渡嘉敷村のHPには、その模様を次のとおり記録しています。

慶良間諸島は、渡嘉敷、前島、座間味、阿嘉、慶留間、屋嘉比、久場島など大小20余の島々からなっており、渡嘉敷村と座間味村に分かれています。昔「群れ島」と呼ばれたこの美しい島々も、沖縄戦で多くの血が流された島として、歴史に刻まれています。

日本軍は、沖縄本島に上陸してくる米軍の背後から奇襲攻撃をかけるねらいで、慶良間の島々に海上特攻艇200隻をしのばせていました。ところが、予想に反して米軍の攻略部隊は、1945年3月23日、数百の艦艇で慶良間諸島に砲爆撃を行い、特攻艇壕をシラミつぶしに破壊した後、ついに3月26日には座間味の島々へ、翌27日には渡嘉敷島にも上陸して占領し、沖縄本島上陸作戦の補給基地として確保しました。

日本軍の特攻部隊と住民は山の中に逃げこみましたが、人々は避難の場所を失い、北端の北山に追込まれ、3月28日、かねて指示されていたとおりに、集団を組んで自決しました。手留弾、小銃、かま、くわ、かみそりなどを持っている者はまだいい方で、武器も刃物持ちあわせのない者は、縄で首を絞めたり、山火事の中に飛込んだり、この世の出来事とは思えない凄惨な光景の中で、自ら生命を断っていったのです。

それから6年後の昭和26年3月28日、住民集団自決のあった北山(現青少年交流の家敷地近く)で、白玉之塔の除幕式と合同慰霊祭が行われ、戦没者(日本将兵81柱、軍人軍属92柱、防衛隊42柱、住民383柱)の御霊を島守りの神として祀り、毎年3月28日を慰霊の日(住民玉砕の日)と定め、本土や沖縄本島から遺族が参列して慰霊祭が催されています。

しかし、この場所が昭和35年、米軍基地用地として接収されたため、昭和37年4月19日現在の場所に移動し新しく建立されました。現地にはヘリポート(下の写真)もあります。 島で急病になったとき本島に運んでくれます。



白玉の塔 白玉の塔
白玉の塔 白玉の塔


忘れじと
思う心は白玉の
塔に託して
永遠につたえん
中井盛才
   (白玉之塔の石碑より:中井盛才さんは、渡嘉敷区長だった人です)

また、渡嘉敷港から国立青少年交流の家方向に向かい、白玉の塔を過ぎて施設の奥に進むと集団自決地の標識があります。入口のゲートを開けて入るとそこが集団自決地です。

現地の案内碑には、次のとおり記されています。
この台地後方の谷間は 去る大戦において住民が集団自決をした場所である。
米軍の上陸により追いつめられた住民は友軍を頼ってこの地に集結したが 敵の砲爆は熾烈を極め遂に包囲され行く場を失い 刻々と迫る危機を感じた住民は「生きて捕虜となり辱めを受けるより 死して国に殉ずることが国民としての本分である」として昭和20年3月28日祖国の勝利を念じ笑って死のうと悲壮な決意をした。兼ねてから防衛隊員が所持していた手榴弾2個づつが唯一の頼りで 親戚縁故が車座になり1ケの手榴弾に2、30名が集まった瞬間不気味な炸裂音は谷間にこだまし 清流の流れは寸時にして血の流れと化し 老若男女315名の尊い命が失われ悲惨な死を遂げた。
昭和26年3月この大戦で犠牲になった方々の慰霊のため この地に白玉の塔を建立したが 米軍基地となった為に移設を余儀なくされた。 時移り世変わってここに沖縄の祖国復帰20年の節目を迎えるに当り 過去を省み戦争の悲惨を永く後世に伝え恒久平和の誓いを新たにするため ここを聖地として整備し碑を建立した。
平成5年3月28日     渡嘉敷村


 
集団自決碑
集団自決跡地


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 白玉之塔


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 渡嘉敷島集団自決跡地



◎このサイトでご紹介している渡嘉敷島の名所・史跡などについては、次の ⇒ コチラからとリンクしています。
・赤間山の烽火台跡 ⇒ コチラから
・阿波連 ⇒ コチラから
・阿波連園地 ⇒ コチラから
・ウニギラマの伝説 ⇒ コチラから
・海神宮 ⇒ コチラから
・学問の神様 ⇒ コチラから
・旧日本軍「特攻艇」の秘匿壕 ⇒ コチラから
・クバンダキ展望台 ⇒ コチラから
・クミチジ山 ⇒ コチラから
・白玉之塔 ⇒ コチラから
・戦跡碑 ⇒ コチラから
・照山 ⇒ コチラから
・渡嘉敷神社 ⇒ コチラから
・とかしくビーチ ⇒ コチラから
・根元家の石垣 ⇒ コチラから
・船蔵御嶽 ⇒ コチラから
・船越原遺跡 ⇒ コチラから
・前島 ⇒ コチラから

  ナビゲーションはトップページにあります。

   TOPページへ

Copyright © 2015 ハイホーの沖縄散歩 
logo