浦野墓地群


浦野墓地
浦野墓地群(琉球新報社ご提供)

祖納集落から東北方向に歩くと驚くべき広大な墓地群があります。ここは「浦野墓地」といいます。大小様々なお墓が数百基(数えきれませんので、もっと多いかもしれません)も並び、延々と連なる様を、元奈良女子大学教授で文化人類学者の深作光貞氏は「死者の都」と表しました。

与那国島では昔、人が死ぬと崖の下などに安置した風葬、あるいは崖葬が行われていました。そこから岩窟に遺体を納め入口を石と土で密封することから始まって、その後、昭和になると、現在の亀甲墓(かめこうばか、きっこうばか) が一般的になりました。浦野墓地群では、亀甲墓が一番多く、このほか平葺墓や屋根に墓石を載せた形、切り妻様式の家型墓、箱型や石を積み上げた墓などさまざまな形態の墓がありました。墓群は、集落の背後を守るような配置となっており、立地・方角・形態から寸法にいたるまで墓地風水が一貫しているのだといいます。私が見た限りでは、本島ではよく見る破風墓はお目にかかりませんでした 。琉球王家に遠慮したのでしょうか。

与那国町史編纂委員の米城恵さんは浦野墓地群について、「先祖に抱かれる形で、現世の人間が生きている。死んだらここに来ることが、島人に観念されている」と、ここに墓が集まった理由を語っています。私は、以前、広大な墓地群の写真を見て、与那国島に行ったら必ず立ち寄ろうと思っていましたので、フリータイムの時間に一周してきました。




浦野墓地 浦野墓地
大小さまざまな亀甲墓 箱型の納骨堂の上に墓石、この形も多かった


地図をご覧になる方はコチラから ⇒浦野墓地群。祖納集落から歩いても10分かかりません。



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