宜野湾御殿(ぎのわんうどぅん)の墓





この墓は宜野湾御殿の墓といいます。那覇市の末吉公園の奥まったところにあります。もともとは琉球王族・具志頭御殿(ぐしちゃんうどぅん)の墓として18世紀前半に建造されたものです。

具志頭御殿は、第11代尚貞王の三男である小禄王子朝奇(おろくおうじ ちょうき)の墓でしたが、明治年間に宜野湾御殿に売却され、宜野湾御殿の墓となりました。宜野湾御殿も尚泰王の次男、宜野湾王子朝広が元祖で琉球王家の大名です。明治になって華族に列せられ、男爵位を賜りました。

墓の本体は、幅(正面袖垣幅)12メートル、奥行き(前面階段前端より屋根囲い外縁まで)25メートルであります。階段部を除く奥行きは、23メートルもあります。参道は、末吉街道の石畳道から途中で途切れていますが、約100メートルあり、幅約91センチメートルの石畳道でした。参道の途中には墓守の番屋跡があり、墓守の番屋跡を含む墓の広さは、約4,000坪(約1万3,200平方メートル)もありました。

宜野湾御殿の墓は、琉球王国時代特有の亀甲墓(かめこうばか・きっこうばか)ですが、墓室正面屋根のマユ(眉)のそりは緩やかで、初期の亀甲墓の特徴を残しています。墓全体の姿は優美かつ荘厳で、亀甲墓の歴史の中で一つの頂点に位置しているといえるそうです。昭和56年(1981)、宜野湾御殿の墓と墓域が那覇市の史跡に指定されました。墓本体は沖縄戦で大きな被害を受けましたが、昭和57年(1982)年に修復されました(Wikipediaなどより)。




お墓に続く石畳の参道 ヒンプン(注1)の石積みは、美しい相方積み


(注1)ヒンプンとは、門と母屋との間に設けられる塀。漢字で書くと「屏風」。役割は、@ 魔除け…魔物は曲がるのが苦手なので、ヒンプンがあると家に入ってこない。A 外からの目隠しの役目。B 暴風から家を守る。C 防火の役割など。中国の建築様式が伝わったといわれている(HP「沖縄の民家はここが違う」より)。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒宜野湾御殿の墓 末吉公園の駐車場に車を止め、サガリバナ並木の前から玉城朝薫の記念碑を右に見て階段を上ってください。末吉宮との分岐を直進すれば、お墓があります。
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