末吉宮・末吉公園





末吉公園は、那覇市北部にある公園です。名前は公園ですが、まるで森です。場所によっては、亜熱帯のジャングルのようです。また、国の史跡の末吉宮跡と日本一早咲きの桜(寒緋桜)の標本木のある公園としても知られています。公園内を流れる安謝川周辺と公園の南側は人工的に整備された緑地公園ですが、末吉宮のある北側の山地は、アップダウンが多く、多くの自然が残されています。市のHPによれば、植物は572種類に及んでいるそうです。夜になればホタルが飛び交い、7月にはサガリバナが咲き、ライトアップもされます。公園内にある末吉宮は、かつての琉球八社のひとつで、尚泰久(しょう たいきゅう)王代の1456年頃に建立されたと伝えられています。HP「おきなわ物語」によれば「本殿と祭場はそれぞれ別個の岩盤の上にあって、両岩盤の谷合いに石垣を築き、石造のアーチ橋が架けられているとか。その本殿は激しい沖縄戦の中で砲撃を受け、建物の礎石、柱2本と虹梁を残し爆散してしまいました。現在見ることが出来る本殿は、残った礎石と資材を基に昭和47年(1972年)復元したものです。拝殿は、清水寺のような長い柱の上に配置されており、大正2年(1913年)に老朽化により倒壊しましたが、平成11年(1999年)に復元されました。

以上の説明と重複しているところもありますが、参道途中の由緒書きは、次のとおり記されています。
国指定史跡  末吉宮跡  昭和47年5月15日指定
沖縄県指定有形文化財 建造物  末吉宮磴道  昭和31年2月20日指定
末吉宮は、かっての琉球八社の一つで、俗に「社壇」と呼ばれている。尚泰久王代の1456年頃、天界寺住持鶴翁和尚が熊野三社権現を勧請して奉祀したのにはじまるという。本殿は三間社流造り本瓦葺きで、前面に向拝を付している。磴道は、参道を登りつめたところから祭場までの8段、祭場から拝殿跡までの21段および拝殿跡から本殿までの7段の一連の石造階段部分をいう。本殿と祭場はそれぞれ別の岩盤の上にあり、両間は切石積みの石造単拱橋(アーチ橋)で継いでいる。なお、磴道は昭和46年に修理され、本殿は昭和47年に復元された。 末吉宮の下方には、末吉宮の神宮寺で俗に「末吉の寺」と呼ばれる遍照寺(元 万寿寺)の跡がある。この寺は山号を大慶山といい、真言宗に属し、沖縄における神仏混淆の信仰形態を知るうえで重要な資料である。また、社殿の周囲の崖下には点々と拝所が設けられ、信仰の対象となっている。

末吉公園までは、自宅から徒歩で15分くらいなので何度も出かけましたが、公園内には地図も道標もなく、首里城の1.5倍という7.7haもある広い公園なので、末吉宮がどこにあるのか分かりませんでした。人に聞いても口では説明できなかったり、教えてもらっても曲がり角が多くて、いつも迷子になってしまいました。そこで今回は事務所で地図をもらい歩いたところ、やっと末吉宮にたどり着くことが出来ました。もらった地図を下記にリンクしましたので、お出かけの方はご参考に。



亜熱帯の森のような末吉公園


沖縄本島に初雪が降った二日後の1/26撮影しました。 末吉公園には桜開花の観測用標本木があります。
サガリバナの並木。7月になったら花の写真を撮ってきます。 この石柱が目印。
ワゴウヒヌカン、参道の途中にありました。 城北クリニックの横の道を入って、この右の坂を上がる。

公園内のヤシの木には実がギッシリ


地図をご覧になる方はコチラから ⇒末吉公園 末吉宮へ行くだけなら、儀保交番の隣の駐車場に車を置き、城北デンタルクリニックの横の道を登ったほうが分かりやすいと思います。山道に慣れた人なら10分で着きます。狭い山道と滑りやすい石畳の坂があるので歩きやすい靴で。ハイヒール、ビーチサンダルは避けたほうがいいでしょう。

◎ このサイトの末吉公園関連のページは、
 ・玉城朝薫の生誕三百年記念碑 ⇒ コチラから
 ・子ぬ方(にぬふぁ) ⇒コチラから
 ・子の方御水(にぬふゎうびい) ⇒コチラから
 ・しむじょう ⇒コチラから
 ・ノロ殿内屋敷跡 ⇒ コチラから
 ・遍照寺跡 ⇒ コチラから
 ・宜野湾御殿の墓 ⇒ コチラから
 ・高平山 ⇒ コチラから


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