=浦添八景=

 安波茶橋(あはちゃばし)


安波茶橋


沖縄市町村の変遷を見ると、浦添間切(まぎりとは、沖縄における、琉球王国時代の行政区分のひとつ。今の市町村に当たります)に安波茶(アファチャ)という村がありました。現在も浦添市の町名に残っています。市役所が安波茶1丁目1番地ですから昔から集落の中心地だったのでしょう。初めは「安波茶」って、何と読むのだろうと思いました。地名の発音に漢字を当てはめただけですので、お茶とは関係なさそうです。安波茶自治会のHPによれば、メーガーラという小湾川の上流が、薩摩との戦いのときに血で染まって泡をたてていたのでアブチガーラと呼ばれ、それがアハチャの地名の始まりになったのではないかと書かれてありました。しかし、定かではないと注釈もありました。国頭村にも安波(あは)という地名がありますが、こちらは、HP「沖縄地名の由来」によれば、安波茶村から来た人々が安波村を作ったからだそうです。

安波茶橋は、琉球王朝時代に首里王府からの令達などのために使われた宿道の一つ中頭方西海道の一部に当たります。首里城を起点に平良、大名を通り、浦添市の沢岻、経塚、安波茶、仲間、牧港を経て読谷に至るルートです。この橋は、浦添八景(注)のひとつに選ばれました。

現地の由来書きには、次のように記されています(原文のまま)。
国指定史跡 中頭方西海道
安波茶橋と石畳道
安波茶(あはちゃ)橋と石畳道は、1597年に尚寧王の命で浦添グスクから首里平良までの道を整備したときに造られたと考えられています。首里城と中頭・国頭方面を結ぶ宿道(しゅくみち、幹線道路)として」人々の往来でにぎわい、国王もこの道を通って普天間宮に参詣しました。
橋は石造のアーチ橋で、小湾川に架けられた南橋と支流のアブチ川に架けられた北橋からなります。深い谷の滝壷の側に巨岩を積み上げる大変な難工事だったと思われます。南橋は沖縄戦で破壊され、北橋も崩壊していましたが平成10年に北橋を修復しました。
橋の下流には、赤い皿(椀)で水を汲んで国王に差し上げたと伝えられる赤皿ガーがあります。
浦添市教育委員会
平成24年9月19日指定

安波茶橋から経塚方面に向かう坂道は、かつては石畳道が残っていました。この辺りの地下約1.5メートルには発掘された石畳道が保存されているそうですが、残念ながら、今は見ることができません。

尚寧の 果てしなき夢 安波茶橋 歴史を今に 映し輝く

この安波茶橋と同年代に作られたとみられる橋が、那覇市首里平良町で発掘されました。それは太平橋と呼ばれていた橋の擁壁の遺構です。詳しくは、 ⇒ コチラから



安波茶橋入口 中頭方西海道石柱
ココを右折して小径に入る 左に曲がり石段を下りる
安波茶橋に至る階段 案内板


安波茶橋


(注)浦添八景…平成26年10月、昔ながらの風景や市民の生活との関わりが説明できるものという観点から、未来に残したい浦添市の原風景を募集して決定されたもの。
浦添八景に選ばれたのは次のとおり
浦添グスク
浦添ようどれ
為朝岩(ワカリジー)
当山の石畳=宿道「普天間参詣道」
伊祖グスク
亀瀬(カーミージー)
杜の美術館=浦添市美術館
安波茶橋=宿道「中頭方西海道」

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 安波茶橋 専用の駐車場はありません。少し離れていますが、市役所の駐車場に止めさせていただき、西に向かいます。安波茶交差点から南へ歩くと浦添歯科クリニックがあり、その隣のAhacya Hillsの南に小径があり、階段を下りると石畳の道に出ます。そして安波茶橋に出ます。

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