=浦添八景=

当山(とうやま)の石畳道




南からの道は急坂なので要注意!、振り返って撮影




琉球王国の時代には王都の首里城を起点として宿道(しゅくみち)と呼ばれる公道が延びていました。それは各間切(まぎり:今の市町村)の番所(今の役所)と番所を結んでいました。具体的には国頭方西海道(くにがみほうせいかいどう)、国頭方東海道、中頭(なかがみ)方西海道、中頭方東海道、島尻(しまじり)方西海道、島尻方東海道と呼ばれていました。

国頭は沖縄本島北部、中頭は中部、島尻は南部の地方名で、いずれも沖縄県内の郡名にもなっていました。特に国頭方西海道と中頭方西海道の一部は「歴史の道」に選定されています。ご紹介する当山の石畳道も浦添市の文化財に指定され、平成24年には、普天間参詣道として国の史跡に指定されています(街道歩きの旅などより)。

当山の石畳道は、琉球王国時代、首里城から浦添を通って宜野湾(ぎのわん)にいたる宿道の一部として整備された道です。牧港川中流の谷間にS字状に伸びています。かつて この石畳は、重要な生活道路として人々が往来していたといわれ、「首里金城町の石畳道」同様に、いにしえの琉球の暮らしを現在に伝えています(おきなわ物語などより)。浦添八景(注)のひとつに選ばれました。

現地の由緒書きには、次のとおり記されています(原文のまま)。
国指定史跡 「普天間参詣道」
琉球王国時代に王府は、首里城と各間切の番所(地方の役所)を結ぶ宿道を、川には橋をかけ、坂は石畳道に整備しました。この道は、首里城から浦添間切番所をとおって宜野湾間切番所にいたるいわゆる普天間街道で、牧港川の谷間に幅4.5m、長さ約200mの石畳道が残っています。 馬がころぶほどの急坂で「馬ドゥケーラシ」と呼ばれていました。この道を通って、国王は普天間宮に参詣し、また各間切の年貢が首里城へ運ばれました。宜野湾間切が新設された17世紀後半頃に整備されたと考えられていますが、橋は大正時代に改築されました。
 平成24年9月19日指定
 浦添市教育委員会

場所は分かりにくいところです。車は通れません。浦添大公園の駐車場に止めて、そこから歩くのが一番良いのですが、浦添大公園の駐車場はたくさんあります。国道330号線に近い管理事務所前か、大公園沿い道路のWCのある駐車場(一番下の写真、ここが一番近い)を探してください。後日、通ったら南口の横に空き地がありました。何の表示もないので、止めていいのか分かりません。石畳道は那覇市金城の石畳道とは違い、あまり手入れがされていないので雑草が繁っています。訪れる人も少ないのか、私が行ったときは誰にも会いませんでした。放置されている感じでした(後日、てだこウォークの際に通ったら雑草は刈られていました)。石畳道の南の入口は急坂です。ご年輩の方やお子様には、十分にご注意ください。

歳月を さかのぼるごとく 踏み歩く 石畳道に さやぐ穂すすき

(注)浦添八景…平成26年10月、昔ながらの風景や市民の生活との関わりが説明できるものという観点から、未来に残したい浦添市の原風景を募集して決定されたもの。
浦添八景に選ばれたのは次のとおり
浦添グスク
浦添ようどれ
為朝岩(ワカリジー)
当山の石畳=宿道「普天間参詣道」
伊祖グスク
亀瀬(カーミージー)
杜の美術館=浦添市美術館
安波茶橋=宿道「中頭方西海道」

この空き地は駐車場? 何の表示もないので分かりません メイン通り南側にある駐車場、WCもあります

地図をご覧になる方はコチラから ⇒当山の石畳道
 

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