ハイホーの沖縄散歩=中部地区=
伊祖城は琉球史に名君としてその名を残す、英祖(えいそ)王の誕生の地として伝えられています。父親は恵祖(えそ)世主と呼ばれ、伊祖城に居を構えた伊祖按司(あじ:首長)です。英祖は5代90年にわたる英祖王統を築いたとされます。また、彼の生誕時に母親が太陽を飲み込む夢を見たところから、「てだこ(太陽の子という意味)」とも呼ばれました。
伊祖城は13世紀頃の築城で、城は切石積み(注1)と野面積み(注2)の石垣が丘陵を囲むように巡らされ、城跡内からは中国製青磁、白磁、南蛮陶器などが出土しており、当時の豪族の暮らしぶりがうかがえます。現在は伊祖公園として整備され市民の憩いの場となっています。牧港を見下ろす高台にありますので、展望台からは眼下に広がる街並や遠く東シナ海を一望できます(HP「おきなわ物語」などより)。浦添八景(注3)のひとつに選ばれました。
なお、伊祖城は、琉球の歌謡集「おもろさうし」に、「いしぐすく(石城)」、「かなぐすく(金城)」と、その堅牢さをうたわれました。
ゑぞゑぞの 石城(いしぐすく)
あまみきよが たくだる ぐすく
また ゑぞゑぞの 金城(かなぐすく) 「おもろさうし」より
意味は、伊祖の堅固で立派なぐすくよ あまみきよが造ったぐすく みごとな伊祖ぐすくだ という内容です。
「いしぐすく」「かなぐすく」は、共にぐすくの美称で、「あまみきよ」は琉球神話の始祖神。伊祖ぐすくを悠久の昔からのものとして讃えているのです(HP「日本1000公園」より)。
英祖王は「てだこ」と呼ばれていたと上記しましたが、沖縄では太陽のことを「てぃーだ」と言います。てだこホール、てだこ祭り、てだこラーメンなど、浦添市には「てだこ」と名づけられたものが たくさんあります。「てだこの町、浦添市」と、どこかに大きな看板も出ていました。私は、この看板を見たとき、「てだこ」の意味が分かりませんでしたが、浦添図書館の方に教えていただきました。
なお、英祖王のお墓が「浦添ようどれ」にあります。別ページにありますので、⇒コチラから。 「ようどれ」の意味も調べました。最初に「ようどれ」の文字を見たときは、酔っ払い?という意味かと思いましたが…そんな訳はないですね。 ^^) ~~
神代より 続く伊祖の城跡に 伝説あまた 野面は語る
伊祖城跡で一番高いところ、拝所にも見えます | 物見台から北西方向を展望 |
上の左の写真は神社の背後の岩場で、伊祖城跡の最も高い所です。物見台として利用されていたそうです。戦時中には、高射砲が置かれていたとか。
(注1) 切石積み…正方形や長方形に切り出して石を積む技法。
(注2) 野面積み…自然石をそのまま積み上げる技法。そのまま積むといっても、割って加工することもある。
(注3) 浦添八景…平成26年10月、昔ながらの風景や市民の生活との関わりが説明できるものという観点から、未来に残したい浦添市の原風景を募集して決定されたもの。
浦添八景に選ばれたのは次のとおり。詳しくは、場所名クリックで。
▽ 浦添グスク
▽ 浦添ようどれ
▽ 為朝岩(ワカリジー)
▽ 当山の石畳=宿道「普天間参詣道」
▽ 伊祖グスク
▽ 亀瀬(カーミージー)
▽ 杜の美術館=浦添市美術館
▽ 安波茶橋=宿道「中頭方西海道」
地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 伊祖公園 広い駐車場があります。しかし、私は何回も歩いて行きましたが、公園利用者がほとんど見当たらないのに、駐車場は、どういうわけか いつも一杯でした。近くの大病院の駐車場が有料だからかもしれません。
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