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屋富祖井(ヤフガー)

屋富祖井


屋富祖井(ヤフガー)は、石積みで築かれた立派な湧水地です。

場所は、八重瀬町歴史民俗資料館の250メートルほど東にあり、周りは金網のフェンスで囲まれ、石積みが三段にわたって築かれている規模の大きな湧水です。 屋富祖井を普通に読むとヤフソガーとなりますが、いつしか発音が変わってヤフガーと呼ばれるようになったと伝わっています。 この地域では、飲料水など生活用水のすべてを、この井泉に頼っていました。屋富祖井に、現在のような水汲場、洗濯場、家畜浴場等の設備がなされたのは、1919年(大正8年)のことでした。石垣の上には水道ポンプの管理小屋が建っています。

なお、屋富祖井は、「日本の重要湿地500」に指定されています。池には、小さなエビやカニ、グッピーも泳いでいました。

案内板には、次のとおり記されています(原文のまま)。
屋富祖井
屋富祖井について次のような伝説がある。
昔、大旱魃に会い具志上村。屋富祖村の人々は飲料水の確保に苦しんでいた。ところでたまたま、屋富祖家の犬がずぶ濡れになって山中より出てくるのを人々が見つけ、こんな旱魃に田野にみずのあるわけはないが、どこで浴びたのだろうかと不審に思い、ある日、その犬が山中にわけていく後を追うた、すると、果たせるかな清水がこんこんと湧き出る泉があった。人々は大いに喜び、その周囲の山を切り開き設備を施し通路を設けた。そして、ここより水を汲むようになり、以後いかなる旱魃にも飲料水に苦しむことはなかったと言う。そして、その犬が屋富祖家の所有であることにちなんで、屋富祖井と呼ぶようになった。
屋富祖井(やふすがー)は、いつか発音が変わって屋富祖井(やふがー)と呼ばれるようになった。
屋富祖井に、現在のような水汲場、洗濯場、家畜浴場等の設備がなされたのは、大正八年(1919)であり、大正十二年(1923)には摂政宮殿下の御成婚を記念して石碑が建立された。
屋富祖村は、近世琉球時代の初期に、具志上村に合併して村はなくなった。
八重瀬町教育委員会


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