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嘉手志川(カデシガー:糸満市)

嘉手志川

嘉手志川


嘉手志川(カデシガー)は、糸満市大里の南山城跡(なんざんぐすくあと)近くにある湧水です。

このガーが見つかったきっかけには、次のような話が伝わっています。

今から800年ほど前のある年、この地区は、川の水が干上がるほどの干ばつが続き、人々は 水飢饉でたいへんな難儀をしていました。そんなとき、ある一匹の犬が全身ずぶ濡れになって帰ってきました。 次の日も、その次の日も同じことが起こったので、村の者がこっそりと犬の後をつけると、そこには、こんこんと水が湧き出している泉がありました。人々は大喜びして、その泉を 嘉手志川と呼ぶようになり、そうして大里の集落が出来たと伝わっています。

南山城は、かって、沖縄本島が北山、中山、南山の三山に分かれていた頃、南山王の大里按司(おおざとあじ)の居城があり、南部一体を勢力下に置いていました。嘉手志川は、南山の繁栄を支えた中心地でした。嘉手志川の豊かな水は、地元ではウフガー(大井泉)と呼ばれていました。

そのように栄えた南山でしたが、1743年?1745年に編纂された琉球王国の正史『球陽』(きゅうよう)によれば、南山王の他魯毎(たるみぃ)が、中山王の尚巴志(しょうはしおう)が持っていた金屏風を欲しがり、泉(嘉手志川)と交換してしまいました。そのため、泉を他国に渡してしまったことで、水が使えなくなった領民の怒りを買い、人心が離れてしまいましたので、他魯毎は尚巴志に滅ぼされてしまったと伝えられています。これがきっかけで、尚巴志は三山を統一を成し遂げることができました。
泉は、プールのようで、今でも生活用水、農業用水として利用されています。 夏は納涼スポット、清流をせき止めた天然のプールは、水深が1メートルもあり、子供たちの絶好の水遊び場になっています。

カーの名称になった嘉手志(かでし)とは、琉球方言で幸を意味する言葉です。

このサイトでご紹介している犬が見つけたカーは、他にも
・うるま市伊計島の犬名河 ⇒ コチラから
・八重瀬町の屋冨祖井 ⇒ コチラから


Google地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 嘉手志川 大里公民館の駐車場も利用できます。


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