阿麻和利(あまわり)の墓


阿麻和利の墓


残波岬のホテルに行く前に、グーグルマップで道を確認していたら、読谷村の楚辺(そべ)という集落に阿麻和利の墓という表示がありました。阿麻和利といえば、沖縄では知らない人がいないくらい有名な人物で、15世紀に勝連城(注1)の按司(首長)として活躍した人です。どうして、こんなところに墓があるのか不思議に思い行ってきました。

阿麻和利についてWikipedia風にご説明すると、
「悪政を強いる前城主を倒して勝連城の按司となる。東アジアとの貿易を進め、大陸の技術などを積極的に取り入れた。勢いを増す阿麻和利に第一尚氏王統の第6代国王・尚泰久王は娘である百十踏揚(ももと ふみあがり:注2)を妻に娶らせ懐柔策を取り、同王の娘婿の立場になった。当時琉球では麒麟児との評判が広まり、首里城攻略を計画していたとされる中城城主の護佐丸(ごさまる:注3)を王の命令で攻め自刃させた。 さらには阿麻和利自身が首里城攻略の野望を抱いたとされ、王府の疑いにより差し向けられた越来賢雄(鬼大城:注4)の軍に攻め滅ぼされたとされているが、城趾には大きな戦いの痕は見られない」

阿麻和利の死については、諸説あります。@ 勝連城の戦いで戦死した。城址に戦の痕跡がないのなら、この説は怪しいと思われます。A 生まれ故郷の北谷間切屋良村(現・嘉手納町字屋良) に逃げる途中、あるいは生まれ故郷に逃れた後、さらに逃走中に王府軍に攻められ敗死した。B 護佐丸の子供に敵討ちされた(この説は、玉城朝薫の「二童敵討(にどうてきうち:注5)」という組踊で演じられたものですので、フィクションのような気がします)…などです。しかし、縁もゆかりもないとされる読谷村の楚辺になぜ、阿麻和利の墓があるのかは、よく分かりません。

阿麻和利の墓は、琉球石灰岩の大岩の岩穴か、岩を掘り込んだ穴を塞いだだけの粗末な暮陵です。こういう同穴式の墓を岩陰墓という資料もありました。現在の墓口は岩ではなく、ブロックやコンクリートで塞いでありますので、近年に縁者が補修したのでしょう。他の墓や御嶽(うたき)でもそうですが、ブロックを使うと安っぽく見えてしまいます。他の偉人とくらべても、墓が質素なのは、現在では「肝高(きむたか)の阿麻和利(注6)」といわれて評価が高まっていますが、王府が編纂した中山世譜(1701年)のなかでは、尚泰久王に反旗を振りかざした謀反人として記されており、このことから逆臣のイメージが定着していて、立派な墓を造ることが出来なかったのでしょう。 私の行った当日は、大きな塩の袋が2個供えてありました。

阿麻和利の墓 墓名碑
墓前には塩の袋やさんぴん茶が供えられていました 阿麻和利の墓の墓名碑
阿麻和利の墓を覆うガジュマル 進入路
墓を覆うガジュマル この道を入った右側に墓があります


(注1)勝連城…勝連半島の南の付け根部にある丘陵に位置する。阿麻和利の居城。近年、城跡から古代ローマのコインが発見され、話題となった(詳しくは ⇒ コチラから)。平成29年、行ってみたい日本の城で、今帰仁城や中城城を押さえて沖縄県ではトップの第7位に入った。
(注2)百十踏揚…尚泰久王の娘。 阿麻和利に嫁いだ が、その後、 越来賢雄に嫁す。 越来賢雄が討たれた後は、玉城(現南城市玉城)で余生を送った(詳しくは⇒コチラから)。
(注3)護佐丸…第一尚氏王統建国の功臣で、尚氏6代の王に仕えながら晩年に謀反を疑われて自害し、忠節を全うしたと伝えられる。 子孫は復権し、王府の要職に就いた。現在でも末裔は、本家、分家を合わせると10万人以上といわれている。
(注4)越来賢雄(鬼大城)…ごえく けんゆう(うにうふぐしく )、尚泰久王に仕え 、阿麻和利の謀反を知って勝連城を攻め、阿麻和利を討ったといわれ、その功績により阿麻和利に嫁していた百度踏揚を妻とした。
(注5)二童敵討…阿麻和利に殺された護佐丸の遺児、鶴松と亀千代の兄弟は父の敵を討つ機会を狙っていた。そして、阿麻和利一行が酒盛りをしているところに、踊り子に変装した2人が近づく。阿麻和利に所望されて踊る2人に阿麻和利は、褒美として、自分の着ている羽織や大団扇を与え、さらに太刀さえも次々に与える。そして、丸腰になった阿麻和利のすきを見逃さず、2人は首尾よく父の敵を討つというストーリー(HP「文化らいぶらりー」より)。
(注6) 肝高の阿麻和利…肝高とは、「心豊か」「気高い」などを意味し、阿麻和利が支配した勝連の高い生活文化を称えたもの。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 阿麻和利の墓 墓の前の道は私道で、駐禁の表示があります。周辺は住宅地ですので、車を止めるときは気を使いましょう。私は、残波ロイヤルホテルのレンタサイクルで「艦砲ぬ喰ぇー残さーの歌碑」など、周辺の史跡を何度も道を間違えながら20キロ走ってきました。県道6号線の楚辺入口(米軍のトリイステーションの赤い鳥居がある)の交差点のひとつ東寄りの信号を南に150メートルほど下った右側です。


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