奥武島観音堂(南城市)

奥武島観音堂
奥武島観音堂


17・18世紀の頃、1隻の中国船が嵐で遭難し、奥武島に漂着しました。乗組員が見知らぬ島への上陸をためらっていると、森から白衣の美女が表れて、「心配することはない」と手招きしました。乗組員は安心して上陸すると、島民たちが集まってきて、食事や衣服を与えて救助し、手厚く介抱しました。

乗組員は船の修理が終わると、「無事に帰国することができたら、この地に御仏を祀り聖地とします」 と言い残して帰国しました。無事に中国に帰ることができた乗組員たちは、お礼として中国から琉球王朝を介して、奥武島の人々に黄金の観音像を贈りました。これを安置したのが奥武島の観音堂です。以降、代々島民の深い信仰を集めていましたが、沖縄戦で建物も観音像も失われてしまったため、戦後再建され、現在は陶製の観音像が大切に安置されています。

奥武島 (おうじま)は南城市の南端にある小島です。今では150mばかりの橋でつながっていますが、もともとは離れ小島でした。沖縄には奥武(おう)の名のつく小島が幾つかあります。南城市の奥武島の他には、名護市、久米島、座間味島にも奥武島があります。いずれも、死者を葬った島、「青(おう)の島」がその名の起源のようです。沖縄では昔、風葬が行われており、奥武島は死体を運んで洞窟に葬った島でした。

以上の説明と一部重複しますが、観音堂の由来説明には次のとおり記されています。

≪奥武観音堂の由来≫

十七・十八世紀の頃、一艘の唐船が嵐に遭い奥武島に漂着した。乗組員達は、見知らぬこの島に上陸をためらっていたところ、島の山の上に白衣の美女が現れて、「案ずることはない。」と言わんばかりに手招きをしたので、「これは天の助け」と喜んで上陸した。 すると島民達が集まってきて、着物を与え、焚き火で冷えた体を温めたり、お粥を炊いて手厚く介抱した。乗組員達は島民の心からの支援に深く感謝し、島民の支援を得て船を小港(クンナト)の岩に繋いだ。(この岩を『ミシラギ』といい、旧暦の五月四日に行われるハーリー(爬龍船競漕)の時は、最初に観音堂に一年間の航海安全と豊漁、島民の健康と融和、島の繁栄を祈願し、次にミシラギ拝所に同様な祈願を行い、御願バーリーを始める。)

船の修理を終えた乗組員達は故郷へ帰ることになり、以前白衣の美女が現れた山に入って「我等一行これより帰国せんと思う。願わくば吾等に幸運を与えたまえ、無事帰国できるよう神様は我々をお守り下さい。願望が叶ったならば、仏様をこの地に祀って浄土としよう。」と祈願、無事帰郷することができた。 その後、乗組員から琉球王朝を通して、奥武島に黄金の観音様一体と仏具一式を贈ってきた。しかし琉球王朝では、はじめ同名の他の奥武に安置したが穏やかならず、八方手を尽くした結果、玉城間切の奥武島がその地であることがわかり、間切役場を通じて奥武島に観音像が届けられたので、一宇の堂を建立して観音像を安置することになった。

旧藩時代は王府が供え物一式を司り、その代行を奥武村出身の大城南掟(へぇーうっち)が行っていた。その後、間切持ちとなり、後に奥武の村持ちとなったため、司は奥武の旧家大屋が行っている。
ここに鎮座される観音像は、代々島民の深い信仰を集めて現在に至っているが、この堂は昔三回(観音堂三興之記)にわたり改築されている。観音堂に関する記録は残念ながら残っていない 奥武島では5年に1度、島の守り神である奥武観音堂に感謝を捧げる奥武観音堂祭が開かれます。

観音像は今次大戦まで無事安置されていたが、現在は陶製の観音像を安置している。又この堂も昭和四十年九月の観音堂三百五十年祭にちなみ、那覇市の渡辺健次氏が改築寄贈され、老朽化した鳥居も昭和六十年観音堂三百七十年祭の際、当区出身の安次富剛氏が改築寄贈された。
境内の石灯籠には嘉慶十七年秋分吉日嶺井親雲上、与那嶺筑登之親雲上、比嘉筑登之の名前があり、同吉日に比嘉仁屋、当山仁屋、城間仁屋、同じく吉日に玉城親方盛林、嘉慶二十五年には玉城按司から寄進されたのが現在も残っている。
観音堂に掲げられている表札の意味は、次のとおり。
○「普濟」(ふさい)・・広く仏のみちによって人民を救う。
○「南海蓮花満部洲」・・南海に蓮の花が満ちあふれている島。
○「徳本慈悲被皆化」・・孝徳の根本は仏の慈しみ、哀れみを皆に教え導き人を善に移らせる。

平成十九年十二月吉日作制 南城市玉城字奥武区

例年は旧暦9月18日に拝み行事が行われ、旧暦9月18日に近い日曜日に島民総出の祝賀会として、男性は棒術や隊列を組んで行進し円陣をつくるスーマチ(潮巻き)を、女性はかすり衣装を身に付けて舞うウシデーク(臼太鼓)を奉納します。 405年祭となる2020年は、新型コロナウイルス感染症の影響を受け、規模を縮小して拝み行事のみ行われました。

観音様 由来説明板
観音様 奥武観音堂の由来


◎奥武島のテンプラについては ⇒ コチラから

地図をご覧になる方は コチラから ⇒ 奥武観音堂 


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