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屋良座森城(やらざむいぐすく)
(那覇市)

屋良座森城



屋良座森城は、1546年に尚清王(注1)によって那覇港南口に築城されました。那覇港と那覇市街を守るために、対岸の三重城(みーぐすく)(注2)と並んで築城されました。

築城当時は、両城の間には鉄の鎖の防波網を張り、船の入港を防ぐことができました。二城のうち大きい方の屋良座森城は、7〜9cmの大砲で武装しており、防備陣では、杭や携行式カノン砲などで武装していました。これらの防御は海賊に対するものでしたが、1609年の薩摩軍の侵攻(注3)の際には、薩摩の艦隊を追い払うことに成功し、屋良座森城が極めて重要であることが証明されました。その後も海賊対策に使用されましたが、一般的には民間人による船の見送りに使用されるようになりました。

しかし、大戦後、米軍に接収され、米海軍の基地となり、跡形もなく取り壊されましたので、現存していません。 何も残っていませんが、このHPでは、Wikipediaを参考にして 記録のみを残すことにしました(上の写真は、取り壊される前の屋良座森城。Wikiより)。

(注1)尚清王…琉球王国第二尚氏王統の第4代国王。第3代国王尚真王の第5王子。
(注2)三重城…コチラから
(注3)薩摩の侵攻…それまで友好的な関係を結んでいた薩摩藩が、突如、武力で琉球を攻めた。しかし、薩摩藩の軍備とは格段の差があり、琉球王府は、わずか7日で降伏し、それ以降、明治の琉球処分に至るまで260余年にわたり、薩摩の実質的支配下に置かれた。7日で降伏したことには諸説あり。

地図をご覧になる方は、コチラから ⇒屋良座森城 場所は表示しましたが、屋良座森城の痕跡を残すものは何もありません。また、米軍基地内ですので見学は出来ません。

 

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