オキナワの嶽(たき)


オキナワの嶽


オキナワという地名の由来になった場所です。文献には「浮縄(ウチナー)の御嶽」と登場します。実は沖縄の由来には有力な説が3つあるのですが、ここは、その名もズバリ「オキナワノ嶽」です。場所は、崇元寺跡のすぐ近く、安里1丁目にある御嶽です。

昔、このあたりが埋め立てられる以前は、御嶽のすぐ近くが海であったことから、安里村の人々が豊漁を祈ったり、ハーリーの勝利を祈ったりと、海に関する祈願をしたという場所だそうです。オキナワノ嶽がある島だからオキナワと呼ばれるようになった、という説です。

Wikipediaには、浮縄嶽(オキナワノ嶽)は安里川河口部にあった御嶽なる宗教施設、拝所で、元来は「浮縄美御嶽」(ウチナーヌウタケ)と言った。「美御」という王家にまつわる敬称を頂いており、相応に由緒あるものと推察される。海上交通安全などが祈願されていた、とあります。

このほかの説は、現在の那覇港のあたりにあった漁場が『オキナハ(沖魚場)』と呼ばれていたので、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説。 「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説があります。

8世紀に書かれた文献『唐大和上東征伝』に、現在の沖縄県とみられる地域が『阿児奈波(オキナワ)』の名で登場しています。また、沖縄の古謡集『おもろさうし』にも『おきなは』と明記されていますが、漢字による『沖縄』と明記したのは新井白石の『南嶋志』(1719年)が最初だといわれています。

なお、金丸を国王に推挙したことで知られる安里大親が、この近くの碁打御嶽やこの近くで釣りをしながら、金丸とクーデター計画を練ったという話もあります。クーデターのお話は、⇒ こちらから (注4)をご覧ください。

Wikipedia、HP「OKINAWAコラム」などを参考にして作成しました。

オキナワの嶽 オキナワの嶽


古地図

6が泊高橋、24が崇元寺で、オキナワの嶽は、その少し東にあった。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ おきなわの嶽  場所は安里1丁目の交差点の南西にあります。何の標識も案内板もありません。都会の真ん中に取り残されたような空間です。前には駐車場(裏のアパートの?)、横はアパートに通じる階段。沖縄の由来の有力な説となった史跡というには、周囲は 恵まれた環境ではありません。


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