中城御殿(なかぐすくうどぅん)の井戸


中城御殿の井戸


「中城御殿」は琉球王国時代に、次の国王になる世子(せいし=後継ぎ)が生活と執務をした施設です。世子を中城王子というのは、中城間切を領有していたことに由来します。

当初は現在の首里高校グラウンドの位置にありましたが、1875年に風水師の占いによって現在の場所へ移設されました。敷地の広さは3,000坪(約9,900u余り)もあり、主要な建物は連結して群立し、王国時代の習慣や祭事が継承されていたといわれています。85年に最後の国王だった尚泰と家族が東京に移住した後は、尚家の別邸として使われていました。しかし、沖縄戦で建物内に保管された大事な宝物とともに重要な資料も散逸してしまいました。沖縄の本土復帰後は、この地に沖縄県立博物館が建てられましたが、博物館は2006年おもろまちへ移転しました。

現地の案内板から
中城御殿の井戸とは中城御殿に4つあった井戸のひとつで、他の井戸と同様に信仰の対象となっており、戦後も使用されていました。平成4年の発掘調査開始直後はコンクリート製の円筒が地上に現れている状態でした。
石灰岩の敷きつめられた井戸の床面が特徴的で、床の径330p、井戸穴の径50p、床面から389pの深さがあります。 床面は中央部から外側にかけて勾配を設け、床面外側をめぐる幅17p深さ5pの溝にこぼれた水が流れ込むように作られています。
平成27年度の歩道拡幅に伴う調査により、この特殊な構造から現地に保存することになりました。

このサイトの「中城御殿跡」は ⇒ コチラから



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 中城御殿の井戸 龍潭の向かいにあります。案内板が鏡のように銀色に光り輝いていますので、写真を撮ると自分の姿が写り込んでしまいます。


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