恩納(おんな)ナビーの生誕地跡(恩納村)


恩納ナビー生誕地

標識のカンジャガーへは、この道を直進すると右側にある。そこの案内板に恩納ナビーの説明も記されている。

沖縄の女流歌人と言えば、吉屋チルーと恩納(おんな)ナビーが有名です。吉屋チルーは読谷(よみたん)村の出身ですが、恩納ナビーは恩納村の出身です。ナビーとは「鍋」という意味で、女性の名前に使われます。

恩納共同組合売店の近くに、『恩納ナビー誕生の地』という碑があります。ここは、恩納ナビーが生まれた場所といわれています。ナビーは琉球王朝の尚貞王の時代(1700年代)に生まれたとされ、この碑は、屋敷跡地に建てられました。それに記されている「マッコウ家」というのはナビーの家号で(屋号について、詳しくは ⇒ コチラから。)、毎年この地では、ウシデーク(女性たちが太鼓を打ちながら農漁の収穫を喜んで歌い踊る)が行われており、周辺の集落にはフクギ並木や赤瓦屋根の民家など、沖縄らしい風景が残されています。

また、この近くに
『恩納 松下に 禁止の牌のたちゆし恋しのぶまでの 禁止やないさめ』
(恩納番所前の松の下に 禁止の立札を張り出しているが 恋をすることまで禁止する定めは無い筈だ だからわれわれ若い者は 恋をするのに何も恐れはばかることはないでしょう )という恩納番所松下の歌碑もあります。




恩納ナビー歌碑


この周辺には、ナビーの歌碑が数カ所、建っています。よく知られている歌は、
『恩納岳あがた 里が生まり島 森ん押し除きてぃ 此方なさな』
意味は、恩納岳の向こうは 愛しいひとの生まれた村 あの山さえも押しのけてこちらに引き寄せようという情熱的な恋の歌があります。

また、恩納村の代表的な景勝地・万座毛(まんざもう)の入り口にも恩納ナビーの歌碑があります。
『波の声もとまれ 風の声もとまれ 首里天がなし 美御機拝ま』
と刻まれているその歌は、「波の音も静まれ 風の音も静かになれ 国王様のお顔をみんなで拝みましょう」という意味です。 琉球の王・尚敬王(しょうけいおう)が北部を巡視中に恩納村の万座毛に立ち寄った際、広場には王の顔をひと目見ようと大勢の人が集まっていた。その風景を見たナビーが、ウシデーク(ウシデークの意味は、前述をご参照)の時に王一行へ歓迎の意を表して、即興で詠んだ歌といわれています。



恩納ナビー歌碑


ただし、沖縄の女流歌人である吉屋チルーは実在でしたが、恩納ナビーは、歌が残っていますので、モデルとなった女性はいたかもしれませんが、想像上の人物?ともいわれています(以上、歌意はWikipediaと"たびらい"を参照しました)。

なお、短歌(和歌)が五・七・五・七・七に対し、琉歌は八・八・八・六の合計三十音の歌です。 琉歌はウチナーグチ(沖縄言葉)で語られるので、本土の方には意味が分かりにくいところもあります。地元の新聞にも週に一回、「琉歌や肝むぐすり(るかやちむぐすい)」のコーナーで一般の人が詠んだ琉歌の入選作が掲載されておりますので、沖縄県内には広く愛好の方がおられるようです。また、恩納村では、年に1回、琉歌大賞のコンテストが実施されます。2021年は第31回目ですので歴史が古いです。どなたでも応募できます。一般の部と児童・生徒の部(中学生まで)があります。2021年は7月上旬から応募開始で9月中旬が締め切りです。恩納村観光協会の公式webサイトから一人三首まで応募できます。

《ご参考》琉歌(りゅうか)とは、奄美群島・沖縄諸島・宮古諸島・八重山諸島に伝承される叙情短詩形の歌謡である。和歌と同様にウタとも言われる。詠むための歌であると同時に謳うための歌でもある。奄美群島においては、主に島唄と呼称される(Wikipediaより)。
沖縄の女流歌人・吉屋チルーについては ⇒ コチラから

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 恩納ナビー生誕地跡 恩納村の国道58号線と県道88号線の交差点を左折し、国道58号線の旧道に入る。恩納中学校を通過して左側の恩納共同組合売店の手前の道を左に入る。しばらく進むと教会の手前に『恩納ナビー生誕地跡』と『カンジャガー』の標識があり、その標識に従い左に入る。畑の角に碑が立っている。
恩納番所松下の歌碑は、恩納共同組合売店をさらに直進し、和菓子屋の三矢本舗恩納店の手前の道を左折し、100メートルほど進むと右側に見えてくる。生誕地から歌碑に行く近道もあるが、道迷いを防ぐため、国道にいったん戻った方が分かりやすい。
恩納番所跡は駐車場になっているが、ナビー生誕地跡には駐車場がないので、番所跡の駐車場から歩いて戻るか、恩納公民館兼体育館の駐車場に止めさせていただく。


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