経塚(きょうづか)の碑





経塚の碑は、浦添市の前田公園の南にあります。碑には上の写真のように『金剛嶺(こんごうれい)』の三文字が刻まれています。尚円王統の尚真王時代(1477〜1526)に、本土から流れ着いた日秀上人が1522年、首里から浦添に通ずる道中の丘に妖怪が出没し、人々を悩ましていることを聞いて金剛経文を小石に写して土の中に埋め、「金剛嶺」を刻んだ石碑をその上に建てました。その後は、妖怪は現れなくなったそうです。土地の人々は氏神として参詣し、旧10月1日には、祈願祭を執り行っています(HP「うらそえナビ」などより)。

日秀上人は室町時代、紀州の真言宗知積院の僧で、和歌山県の那智から補陀落渡海(注1)を行いましたが、琉球の金武(きん)フナヤ(富花港)に漂着しました。村人に稲作の方法を教えたり、住民が洞窟に住む大蛇に困っていたのを退治して、金武観音堂を建てたことで、その名は、首里の尚真王にも知られて、尚真王の仏教の師となり、護国寺を建てるなど、仏教を広めたとも伝えられています(Wikipediaなどより)。
このほか、王国時代から昭和期にかけて首里・那覇を結ぶ重要な橋であった茶湯崎橋(チャナザチバシ)(注2)に、妖精の伝承があったのを聞いた日秀上人は、橋の北側に碑を建立しました。碑には梵字が刻まれていて誰も読めなかったため、何が書いてあるのか分からないこと、わけの分からないことを「松川の碑文(ムジンクジンワカランマチガーヌヒムン)」というようになったそうです。この碑は、明治期まで残っていましたが、道路整備のために撤去されてしまったので現存していません。由来を書いた説明板だけが、那覇市松川2丁目のライオンズマンションの前に立っています。
なお、経塚の碑の現地の由緒書きには、次のように記されています(原文のまま)。(注)は、サイトの管理人が補足。

浦添市指定文化財 史跡 経 塚 の 碑
昔、このあたりは松が生い茂る人里離れたさみしい場所で、ここに巣くう妖怪が道ゆく人々をたぶらかしていました。16世紀の初め、高野山で修業した日秀上人がお経(金剛経)を書いた小石を埋め、その上に「金剛嶺」と刻んだ石碑を建て、妖怪を鎮めたと伝えられています。
その後、地震の時に「チョウチカチカ」、あるいは「チョウチカ、チョウチカ」と唱えるとおさまると信じられるようになりました(注3)---チョーチカの物語は、下記に詳しくご紹介しています。
お経を埋めた塚を経塚(キョウヅカ)といい、この地域の名前の由来となっています。経塚の碑は旧暦10月1日のウマチーヌウガン(注4)で拝まれるなど、地域の人々から大切にされています。
昭和58年3月2日指定 浦添市教育委員会

(注1)補陀落渡海(ほだらくとかい)…日本の中世において行われた、捨身行(しゃしんぎょう:身体を犠牲にして仏道を求める修行)の形態。渡海船と呼ばれる小型の木造船を浮かべて行者が乗り込み、そのまま沖に出るというものである。その後、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送る。場合によってはさらに108の石を身体に巻き付けて、行者の生還を防止する。有名なものは紀伊(和歌山県)の那智勝浦における補陀落渡海で、『熊野年代記』によると、868年から1722年の間に20回実施されたという。このほか、足摺岬、室戸岬、那珂湊などでも行われたとの記録がある(Wikipediaなどより)。

(注2) 茶湯崎橋(チャナザチバシ)…詳しくは、⇒ コチラから

(注3)チョーチカの由来…昔、むかし、首里の王様が家来に国頭(くにがみ)へ書状を届けるよう命じました。家来はすぐに出かけ、用事が済ませるとさっさと引き返しました。ちょうど浦添の経塚(チョーチカ)までやってきた家来は、一休みしようと木陰で酒を飲んでいると、歩き続けた疲れが出て寝入ってしまいました。すると、そこに大地を揺るがすような大きな地震が起こりました。家来はぐっすりと寝ていたので地震には全く気がつきませんでした。目を覚ますと周りが騒々しいので何か変だなぁとは思いましたが、そのまま首里へと出発しました。
家来は、首里城に戻ると、早速、王様に帰着の報告をしました。すると王様は、「大きな地震があったが、無事だったか?」と家来に尋ねました。家来は「エッツ、地震でございますか?」と、聞き返しました。王様は「何、あの地震に気がつかなかったとな、一刻(いっとき…2時間)ほど前、どこに居たのじゃ?」と尋ねました。「ハイ、その頃は、経塚で一休みしておりました」「何と、経塚は揺れなかったと申すのか」「はぁ〜、何も感じませんでしたが…」家来は、酒を飲んで寝ていて気がつかなかったとは言えず、揺れなかったと申し上げたのでした。それからは、経塚には地震がないという噂が広まり、地震が起こると、無事に収まるように「チョーチカ、チョーチカ」と、おまじないを唱えるようになったということです。

(注4)ウマチーヌウガン…火の用心の祈願。

由緒書き


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 経塚の碑 県道153号線を那覇市平良交差点から安波茶交差点に向かって行くと、経塚交差点から1キロほど先の左手に酒菜亭「とらや」(名前は「とらや」ですが、まんじゅう屋さんではありません)があり、続いて4階建てのアパート2軒の先を左折すると、"てだこ保育園" があります。その向かいの小高くなったところに石碑が立っています。

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