ハイホーの沖縄散歩=中部地区=
今回ご紹介する金満御嶽は、浦添市澤岻(たくし)にあります。下の写真のような階段を上って行きます。
階段の先にも通路が続き、進んでいくと、まず最初に到着した拝所は、『南山拝所』と刻まれた標柱が立てられ、4基の香炉が並べられた拝所です。香炉には、それぞ文字が刻まれており、左から順に『下之殿』、『下之御嶽』、『ソージ川』、『ツボ御川』と書かれていました。いわれについては、よく分かりません。
そして、この『南山拝所』の後方には、『金満按司添』と刻まれた石標と『金満玉滑』と刻まれた香炉が1基設置されていました。金満按司を祭った御嶽は浦添以外でも、東風平(こちんだ)、恩納村など各所にみられます。
金満というとお金持ちをイメージすると思いますが、察度王の弟といわれている泰期は国頭奥間(沖縄本島の北部)のカンジャヤー(鍛冶屋)で、金満とも言われ、鍛冶屋の始祖だと伝わる人物です。そこから鍛冶屋のことを金満と呼ぶようになったと伝わっています。泰期について、詳しくは ⇒ コチラから。
『金満按司添』の左後方にも、また2基の香炉が並べられた拝所らしき場所がありました。こちらには、標柱などは何もなく、2基の香炉に左から『中之殿』、『上沢岻之殿』とだけ刻まれていました。そして、この2基の香炉が置かれた拝所の右奥に『金満御嶽』があります。
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突然現れた階段 | 何の説明もないが祝女神墓が階段の左にあった |
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南山拝所が現れる | 金満御嶽 |
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この石碑は、御嶽復元覚書です。書かれてある要旨は、澤岻部落の創始者である澤岻世主の拝所であり、住居跡は、部落の共有地だったが、部落によって売却された。しかし、先祖代々の土地であるので、部落の根屋にあたる當間家の當間榮幸は、大切な土地をつぶされては、先祖の申し訳ないと各門中の阻止を呼びかけ、署名運動などあらゆる努力をしたが、かなえられず、この場所に移転した。この敷地に安置した嶽々は、公芳嶽、天続嶽、玉骨、御先火の神、ツボウカー、ショウジガー |
地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 金満御嶽
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