伊波普猷(いは ふゆう)の墓




伊波普猷は、民俗学者であり、言語学者であり、沖縄では、とても著名な学者で、沖縄学の父として知られている人です。明治9年(1876)に那覇市で生まれ、沖縄尋常中学(現在の首里高校)を退学した後、第三高等学校(現在の京都大学)を経て東京大学で言語学を学び、沖縄に帰ってからは、沖縄県立図書館の館長を務める傍ら、沖縄研究資料の収集に尽力しました。
学問の領域は、沖縄研究を中心に言語学、民俗学、文化人類学、歴史学、宗教学など多岐に渡り、後に沖縄学として発展しました(Wikipedia、うらそえナビなどより)。

上記と一部、重複しますが、現地の由緒書きには、次のとおり記されています(原文のまま)。
伊波普猷(いは ふゆう)の墓
伊波普猷は、明治9年(1876)に那覇に生まれました。沖縄尋常中学(首里高校の前身)を退学処分された後、本土に渡り三高(後の京都大学)から東京帝国大学に進んで言語学を修めました。東大在学中から、浦添が首里以前の古都であったことを最初に論じた「浦添考」など、すぐれた論文を発表しています。
帰郷して県立図書館長となった伊波は、歴史研究のかたわら、琉球処分後の沖縄差別で自信を失った県民に自信と誇りを回復する啓蒙活動を行います。大正15年に再び上京しますが、戦争で米軍に占領された沖縄の行く末案じつつ東京で亡くなりました。その後、伊波の研究にゆかりの深い浦添の地に墓が作られ、永遠の深い眠りについています。
浦添市教育委員会

最初に大きな掲示板で「伊波」という名前を見たとき、振り仮名がなかったので「いなみ」と読んでいました。立派な墓や顕彰碑があるくらいですから、きっと著名な人だろうとは思いましたが、碑文を読むまで、どんな人なのか、何をした人なのか全く知りませんでした。その後、参加したサークルに、伊波さんという名前の方が5人もおられました。知り合いになった伊波さんは、全員が うるま市(旧石川市)の伊波という集落出身で、家の回りは、皆、伊波さんだそうです。「皆さん、親戚ですか?」と聞いたら「親戚ではないけれど、親戚以上の間柄かもしれない」と答えられました。





上の写真:左は顕彰碑です。「おもろと沖縄学の父 伊波普猷」と刻まれています。「おもろ」とは、琉球王朝時代の歌謡のことで、「おもろそうし」が正式名です。那覇市の「おもろまち」の由来となった言葉です。
このほか、小さな文字で
 彼ほど沖縄を識った人はいない
 彼ほど沖縄を愛した人はいない
 彼ほど沖縄を憂えた人はいない
 彼は識ったが為に愛し、愛したために憂えた
 彼は学者であり愛郷者であり予言者でもあった
と刻まれています。これは、友人で、歴史家の東恩納寛惇(ひがしおんな かんじゅん)氏の言葉です。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒伊波普猷の墓 浦添ようどれの駐車場が利用できます。


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