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と な き じ ま
 渡名喜島
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上の画像は、@ アンジェーラ浜、 A あがり浜の海、 B樹齢240年のフクギ並木、 C 赤瓦の民家、 D 渡名喜港に入港するフェリーの順にスライドします。

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渡名喜島は、本島の北西、約58キロのところにあり、北に粟国(あぐに)島、南に慶良間(けらま)諸島、西に久米(くめ)島を望む位置にあります。渡名喜村は渡名喜島と入砂島の2島からなっていますが、入砂島には誰も住んでいません。面積は3.74平方キロメートルで、日本で2番目に小さい自治体です(一番は富山県の舟橋村の3.47平方キロメートル)。島の人の話では、”となき” は、"戸無き" つまり、戸がいらないくらい治安がよく、事件らしい事件もめったに起こっていないそうです(注)。渡名喜島そのものは、昔むかし二つの島だったのが、周りで徐々にサンゴ礁が発達し、その間に砂が堆積していき、いつしか一つにつながったといわれています。3,500〜5,000 年も前の話です。

(注)刑事事件ではありませんが、このページをUP後、平成28年12月、村の伝統家屋修復事業で、入札に関する情報を事前に業者に漏らしたとして、県警は同村の教育長と那覇市の建設業者の代表の男らを、官製談合防止法と競売入札妨害の容疑で逮捕しました。
また、平成29年6月、村発注の工事に関連して、今度は村長が教育長と全く同じ容疑で逮捕されました。めったに事件らしい事件の起こらない村で2年続けて、それも首長が逮捕されるのは珍しいことですね。沖縄県でも業者に便宜を図った首長が逮捕されるのは、23年ぶりだそうです。



渡名喜島全景
フェリーから渡名喜島、中央右の一番高いところが大本田(う〜んだ)展望台
フェリー琉球 ゆぶく浜
渡名喜港 呼子(ゆぶく)浜
アンジェーラ浜 出砂節の碑
アンジェーラ浜 出砂節の碑
入砂島
「ちゅらさん」のオープニング映像に登場した入砂島(大本田頂上より)


渡名喜島にお住いの方は約400人。路線バスもタクシーもありません。商店も数えるくらいしかありませんが、民宿は4軒あります。村のHPには、必ず泊まるところを予約してからお出でくださいと書いてあります。渡名喜島へは、フェリーが交通手段となっており、久米島と那覇を往復するフェリーが、途中、渡名喜島に立ち寄りますが、一旦、島に上陸したら帰りの船は翌日以降しかありません。いやでも泊まらねばならないのです。ただし、4月〜10月のフェリーが1日二便出る金曜日だけは、日帰りもできます。しかし、朝一便で那覇港を出て10時35分に島に着き、久米島から来る15時35分発の二便に乗って那覇に戻るので、滞在時間は5時間ほどしかありません。船の時間は、季節によっても、また、船のドック入りなどでも変わります。金曜日でも日帰りできないこともあります。私が出かけた1週間後の金曜日は、二便は欠航になりましたので、1日一便でした。

なお、台風などで海の状況が悪くなると船が寄港できなくなることもあるそうで、そうなると、せっかく出かけても島に入れなかったり、入った後なら島に缶詰になります。まァ、そうなったら のんびりできるかもですが…。こればかりは、あせっても、何ともなりません。しかし、そういう体験は、なかなかできるものではありませんので、運が良かった?と思って、あきらめてください。(^-^)



赤瓦の民家
本島では少なくなった赤瓦の民家
フクギ並木 ライトアップのフクギ並木
フクギ並木 ライトアップのフクギ並木
渡名喜島
赤瓦の屋根が続く風景。平成28年7月25日付、琉球新報より。いい写真でしたので、掲載させていただきました。


また、村のHPによると、民宿にはバスタオルがありませんので、必ず持参してくださいとありました。お土産はフェリーのターミナル売店で販売していますが、フェリー出航前にしか開いていないのでご注意くださいとも書いてありました。それと集落の外に出ると売店も自動販売機もありませんので、水分補給の飲み物は忘れずに持って出てください。私は歩きでしたが、レンタカーは、電気自動車のエコカーが借りられます。料金は1時間800円。1日4000円です。ただし、一人乗りです。歩いているとき「わ」ナンバーのレンタカーが走っているのを見ました。台数が少ないようなので、借りたい人は、ターミナル隣のフクギレンタカーでご確認を。

渡名喜島の集落は国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。略すと「じゅうでんけん」だとか。沖縄本島でも珍しくなった赤瓦の家がたくさんあります。町並みはフクギの並木群で、樹齢200年を超える並木は壮観です。脚立が届かないくらい高いので、どうやって刈り込むのでしょう。また、私は日帰りでしたので見ることはできませんでしたが、集落の夜を演出するライトアップが近年、有名になりつつあるそうです。村役場からあがり浜まで続く民家の両サイドに毎夜、明かりが灯り、昼間とはまた違った集落の雰囲気を楽しむことができそうです。きっと、幻想的な雰囲気でしょうね。ライトアップの写真は、村のHPからお借りしました。


ターミナル内の観光窓口 レンタエコカー
ターミナル内の観光窓口 電気自動車のレンタエコカー


フェリーターミナルの中に観光窓口が設けられています。観光のご相談はこちらへ。私は港に戻ってからその存在を知りましたが、船が港に着いたら地図や資料をもらいに行ってみましょう。たいへん親切に応対してもらえますよ。
なお、上の写真に出砂節(いでぃしなぶし)の碑をご紹介しましたが、渡名喜港のターミナルの横に建てられています。碑には、
「出砂のいべや いづみだちもたへる 思子たちもたえる とのち里之子」と彫られています。
意味は「出砂の威部(拝所)は泉を抱いて栄え、渡名喜里之子はいとし子を抱いて栄えている」です。「里之子」とは、琉球王国で士族の位階または一般士族の男子に対する敬称で、「さとぬし」、あるいは「さとのし」と読みます。
歌をお聞きになりたい方は⇒コチラから。音が出ますので深夜の場合はご注意ください。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 渡名喜島 拡大表示してご覧ください。



《渡名喜島の伝説》
「渡名喜村史」には、こんなお話が残っていますので、ご紹介しましょう。
伝 説 =サルの赤い尻=
渡名喜村のあるところに、年寄りの兄弟が隣り合わせで住んでいました。兄の家は裕福でしたが、弟の家は食べるにも不自由な貧しい生活をしていました。
ある年の正月元旦に、どこからきたのか、一人のみすぼらしい姿の白髪の老人が、裕福な家を訪ねて一夜の宿を求めました。富家の人たちは、正月早々、乞食のような老人を泊めては縁起が悪いと追い返してしまいました。
老人は、やむなく隣りの貧しそうな家を尋ねて頼んだところ、貧家の老夫婦は「ご覧のとおり、我が家には食べ物も満足にありません。こんな家でもよければ…」と快く引き受けました。
老人は、「食べるものがなければ、鍋をふたつ用意しなさい」というので、おばあさんがカマドに鍋を置くと、しばらくして、ひとつの鍋にはご飯が炊けていました。もうひとつの鍋には、ご馳走ができていましたので、三人で正月らしい食事をすることができました。
翌朝、老人が「鍋にお湯を沸かしなさい。そうしたら二人で その湯を浴びなさい」というので、その通りにしたら、老夫婦は、たちまちのうちに若返りました。
それをみた富家の人は、私たちも若返らせてくれ、と老人に頼むと、「それでは湯を沸かして、それを浴びなさい」と言いました。 富家の人たちは、言うとおりにお湯を浴びたら、全員がサルになってしまいました。兄の家の財産は、すべて貧家の弟夫婦のものになりました。
すると、サルは毎日やってきて、「財産を返せ、財産を返せ」と騒ぎ立てるので、白髪の老人に相談すると、「石を焼いてサルが来る頃に並べておきなさい」と言われ、その通りにしました。サルがやってきて大騒ぎをしましたが、疲れて、皆、石の上に腰掛けました。すると、お尻を大やけどし、山に逃げ帰り、そして二度と来ることはありませんでした。サルのお尻が赤いのは、こんなことがあってからだったのです。オシマイ。

≪ご参考≫
渡名喜村役場のHPは ⇒コチラから
久米商船のHPは ⇒コチラから
《民宿》
ふくぎ屋 рO98-989-2990
ムラナカ рO98-989-2626
あがり浜 рO98-989-2888
となき  рO98-989-2041
《食堂》 各民宿& ターミナル食堂 рO90-7451-7908
《レンタカー》
ふくぎレンタカー рO98-989-2990
以上は、Webにてピックアップしたものです。現在も営業しているかの確認はしておりません。連絡される場合は、間違い電話にお気を付けください。
《お土産》
もちきび、らっきょうコロコロ、にんじんポリポリ、だいこんのウッチン漬、もちきびちんすこう、となっキー、となきのおやつ、アーサ

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