伊江(いえ)島


タッチュー
島に近づくに連れて城山(タッチュー)が大きくなる

伊江島は、本島北部の本部半島の西北、約9キロにあります。本部港から船で30分です。周囲は22キロでリゾートホテルもあり、私が行ったときも修学旅行の学生が大勢いました。ほぼ平坦な島のやや西よりに伊江島城山(ぐすくやま)があります。地元の人は、「ぐすくやま」とは呼ばず、ただの「ぐすく」や「イージマタッチュー」とか「イータッチュー」と呼んでいるそうです。タッチューとは、沖縄の言葉で垂直に伸びるというような意味があります。高さは172メートルです。

伊江島城山は島内のどこからでも見えますので、尖った山を目指せばどの道を通ってもいいのですが、村役場のある三叉路を「城山登口」と書かれた道標に従い、階段を登れば早く着きます。登山口には、広い駐車場と展望台や土産店、トイレなどがあります。城山への登りは階段の1本道なので、迷うところはありません。私は10分で登ってしまいました。

頂上からは360度の展望があり、島内は家と畑ばかりですが、島外遠く目をやれば、本部半島の山々、伊平屋島や伊是名島も望めます。頂上には「力(ちから)タンナーパ足跡の伝説」の石碑があり、昔、隣の村と戦さになったとき、島の力持ちだったタンナーパが、この山に登って、攻めてきた敵にめがけて大きな石を投げて退散させたそうです。そのとき踏ん張ったときの足跡が窪みになったという伝説です。その窪みが頂上に残っており、足跡の中には、お賽銭がたくさん入っていました。そう言われてみると、確かに巨大な足跡のように見えました。



伊江港 村役場
伊江港 村役場
登山口 石碑
城山の登山口 「力(ちから)タンナーパ足跡の伝説」の石碑
タンナーバの足跡 頂上からの展望
タンナーバの足跡には、お賽銭が… 頂上から南の展望

島の北西部には在日米軍の伊江島補助飛行場があることでも分かるように、伊江島は基地の島でもあります。一時は島の面積の約半分が米軍基地でしたが、島民による基地返還闘争が継続的に行われ、5度にわたり部分的に返還され、現在、基地の面積は島全体の35%まで減りました。



島らっきょうのてんぷら イエラムサンタマリア
島らっきょうの浅漬け 伊江島のラム酒、右;ゴールド、左;クリスタル


農業では、沖縄県全体で盛んなサトウキビのほか、タバコ、花木、肉牛などの生産が盛んです。私が沖縄に来て知りあった方が伊江島出身で、実家で作ったという島らっきょうの生と浅漬けをいただきました。生は天ぷらにして食べました。らっきょうの天ぷらは、初めて食べました。島の蒸留所作られている「イエラム サンタマリア」は、本島内では あまり知られていないようです。ラムといっても、子羊の肉ではなく、サトウキビの搾り汁を原料としたラム酒です。私は飲んだことはありませんが、知る人ぞ知る銘酒だそうです。ゴールドとクリスタルと2種類あり、どちらも720ml 37度が、1本、2,700円です。また、毎年4〜5月には、ゆり祭りが行われ、世界のゆり90種類と100万本のテッポウユリ(下の写真)が咲き誇り、人口4,600人の島に3万人の来場者が押し寄せます。



ゆり


人骨発見

私が行った2日前、伊江島のナガラ原第三貝塚で、ゴホウラと呼ばれる貝類の腕輪を着装した人骨が出土しました。ゴホウラ貝の腕輪を着装した状態で人骨が見つかったのは沖縄県で初めてで、発見されたのは、女性の人骨だとか。
このニュースを新聞で読んだので、場所を調べたら港からさらに西の方にあり、翌日は朝一番のフェリーで本部港に戻るので、今回は見学するのを見送りましたが、琉球新報に写真が掲載されたましたので、ご紹介します。
人骨や石棺墓は、縄文時代後期から弥生時代中期(2,500〜2,000年前)のものとみられ、ゴホウラ貝の腕輪は直径8センチ。石棺墓は、長さ2mで幅約90cm、深さ約40cm。伊江村教委は今後、発掘された人骨についてDNA調査も含めた分析を行う予定だとか。
ニュースと写真は「琉球新報」より。

 


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