豊見瀬御嶽(とみせうたき)


豊見瀬御嶽


豊見瀬御嶽は、豊見城城址公園内にあります。

豊見城グスクは、琉球が三山時代の1400年頃、後に南山の王となる汪応祖(わんおうそ)が漫湖(まんこ)沿岸の見晴らしの良い高台に築いたと言われています。その後、三山統一の戦いの際に、中山王の尚巴志(しょうはし)による攻撃を受け1429年に落城、南山は滅んでしまいました。

1719年には尚敬王の冊封副使として来琉した徐葆光(じょほこう)が漢詩に詠み、1853年来航したペリー艦隊一行が残した挿絵や記録が残されており、グスクは三重の郭から成り、五つの城門があったと言われています。城内には、豊見瀬嶽があり水や雨を司る龍神が祀られているとされ、約300年前の記録には、竜舟競渡や雨乞いなどの儀式が行われたとあります。

その後、城跡は沖縄戦で破壊され、米軍の採石で原型を失い、さらに戦後の整備に伴いほとんどの遺構を失ってしまいました。もし現存していれば、琉球のグスクでは三番目の大きさだったと推測されています。現在は年に一度だけ、ハーリー由来祭りが開催されています。 なお、公園の東側は饒波(のは)川に隣接し、北側にはラムサール条約に登録された漫湖(まんこ)公園が広がっています。文は豊見城観光協会HPを参考に作成しました。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 豊見瀬御嶽 ナビを見ながら探しましたが、県道7号線から城址公園駐車場に入る道が分からず、2回も饒波(のは)川に出てしまいました。グスク跡に隣接して空手会館ができたので道路がつけ変わってしまったようです。そのため、空手会館の駐車場に車を止め、地図を頼りに歩いて見つけました。


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