糸数(いとかず)グスク跡


糸数城跡
石垣を見るだけでもグスクの規模が分かる


世界遺産には指定されていませんが、石積みの大部分が残っていますので、世界遺産に指定されたグスクと比べても決して劣らない立派な遺構です。

糸数集落南側の崖の上に築かれたグスクで、玉城按司(注1)が次男を大城按司に、三男を糸数按司に任じたという伝説があり、中山尚巴志の配下だった上間按司(注2)に攻められ落城したと伝わっています。築城年代は はっきりしていませんが、14世紀ごろではないかと推定されています。琉球石灰岩が積み上げられた長く続く城壁は野面積み(自然石をそのまま積み上げた石垣)と切石積み(正方形や長方形などに切り出した石を積んで作った石垣)が両方用いられています。案内碑には、石垣の上に立てば太平洋や東シナ海を眼下に望むことができるとありましたが、「石垣に登らないでください」という看板がありましたので登るのは遠慮しました。

以上の説明と重複する部分もありますが、グスク内の案内碑には、次のとおり記されています。字が薄いので読み取りにくいところもありました。違っていたらご容赦ください。

史跡 糸数城跡  昭和47年5月15日 国指定
この城跡は、現在の糸数村落南側の断崖上に築かれた古城で、築城年代は不明ですが、玉城按司が二男を大城按司に、三男を糸数按司に任したという伝説があり、おそらく「三山分立時代」の初期14世紀前半の築城であろうと思われます。
城壁は野面積みと切石積みと両方用いられ、切石積の部分がもっとも高く約6メートルで、この上に立つと太平洋と東支那海が眼下に望めます。
構造的には比較的単純な城で、西側は断崖を利用し、東北東に城門をひらいています。
城内の随所には遺物包含層がみられ、そこからは土器に混じって中国製品の陶磁器類が発見されます。
また、「琉球国由来記」にも記載された「糸数城之殿」も城内の一角にあります。
沖縄県教育委員会
昭和53年3月31日

城郭内部には糸数城之嶽(神名:モリテル御イベ)とよばれる御嶽があります。円形に積まれた石垣の中央に大きな岩があり、その脇に幾つかの拝所があります。
昭和47(1972)年5月15日に国の史跡に指定されました。入場、駐車は、いずれも無料です。

石碑 / 案内碑 /
石碑 40年前の碑なのに横書きは めずらしい(内容は上記)
石垣 / 糸数城之嶽 /
攻めてきた敵を石垣の両側の上から攻撃する 糸数城之嶽周辺


(注1)玉城按司(たまぐすく あじ)…三山時代に玉城集落を治めていた按司(首長)。

(注2)上間按司(うえま あじ)…中山、南山、北山の三山が互いに戦っていた時代、中山尚巴志の配下として糸数城を攻め落とした。識名(現在の那覇市)の出身といわれている。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 糸数グスク跡 


  ナビゲーションはトップページにあります。

   TOPページへ

Copyright © 2015 ハイホーの沖縄散歩 
logo