玻名城(はなしろ)のお宮(八重瀬町)


玻名城の宮


玻名城(はなしろ)のお宮は、八重瀬町の玻名城のバス停の南東にあります。現地の表示板には、次のとおり記されています。

今よりおよそ230年前、玻名城村に潮平ヌペークーと言う人がいた。ある年所用で中国に渡り帰路遭難した。晴天にわかにかき曇って強風が吹きまくり、波は荒れ狂い船は木の葉の如くゆられ、まさに沈没寸前であった。ところが、不思議なことに、急に海は静まり無事に故郷の波名城村に帰ることが出来た。ところが、残して行った一人娘の姿が見えない。その行方はまったく知れなかった。人々が言うには、この山(現在のお宮の場所)に入って行くのは見たが、出て来るのは見ないと言う。ペークーは山中をくまなく探したがついに娘は見つからなかった。ところで、中国からの帰路海上で難に遭った時、急に暴風がおさまったのは、娘が山中に入り行方がわからなかくなったのと同日同刻であったことに気がついた。娘の加護が波を静め命を助けてくれたのだということがわかった。ペークーはその山中に祠を建て娘の霊を航海の安全を守る神として崇信した。すなわち、娘は「媽祖(まそ:注1)」となり海を静め父親の命を守ったのである。このことは、やがて波名城の人々に伝わり、部落の守神として改めてお宮を建立し、部落を挙げて深く崇信した。
具志頭村教育委員会

(注1) 媽祖(まそ)…航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神。沖縄には14世紀の終わりごろにやってきたというビン人(びんじん)三十六姓(注2)とともに、「航海を守る天妃(てんぴ:中国の航海守護神(女神)。民間では媽祖と称された)」を祀る信仰が伝わったようだ。那覇には、かつて上天妃宮・下天妃宮の二つがあったが、現在は上天妃宮の石門だけ残っている。沖縄には身内の女性が男性を海難から助ける力を持っているという『をなり神』の話がある。家族の男性に海難があると白鳥や蝶に姿を変えて助ける言い伝えが残っている。
(注2)ビン人三十六姓… ビン人というのは、現在の福建省の中国人のこと。1392年に明の洪武帝より琉球王国に下賜されたとされる職能集団。その後、300年に渡り、琉球王国に渡来した。ビンの漢字は門構えの中に虫を書く。久米三十六姓ともいわれる。彼らの末裔には沖縄を代表する政治家たちもたくさんいる。琉球王国時代の三司官(総理大臣クラス)になった蔡温(さいおん)や謝名利山(じゃなりざん)、前の沖縄県知事、翁長雄志氏、二代前の仲井真弘多氏、三代前の稲嶺惠一氏も、いずれもビン人の末裔。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 玻名城のお宮 ローソン八重瀬玻名城の隣



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