港川フィッシャー遺跡


港川フィッシャー遺跡
港川人は中央の割れ目(フィッシャー)の地中から発見されました。現在は埋め戻されています。


港川人のことを最初に聞いたときは、沖縄に来て日も浅く、浦添市港川を思い浮かべてしまいましたが、場所が違っていました。八重瀬町(旧具志頭村)の港川でした。

港川フィッシャー遺跡は旧石器時代(注1)の遺跡で、1968年に那覇市在住のアマチュアの考古学研究家、故大山盛保氏によって発見されました。

昭和42年11月、那覇市でガソリンスタンドを経営していた大山盛保氏は自宅庭園に池を作る為、地元の石切場オーナーから通称「粟石(あわいし)」と呼ばれるマチナト石灰岩30トン分を購入しました。粟石とは、琉球石灰岩で有孔虫やサンゴ、貝類から構成され、粟おこしに色、質、手触りなどが似ている所から地元でそう呼ばれています。八重瀬町の港川は、粟石の産地として最も有名な場所でもありました。

大山氏は運ばれてきた粟石の中の粗雑な1個に目を止め、その石の割れ目に泥が詰まり、その中に化石が包まれているのを発見しました。大山氏は、この粟石を産出した港川を訪れ、この化石骨入り粟石が掘り出された地点(フィッシャ-、意味は割れ目、裂け目)を確認し、さらに、このフィッシャ-内堆積物中に化石を含んだ地層を確認しました。そして、これらの化石骨は人骨かも知れないと考え、直ちに琉球政府文化財保護委員会の多和田真淳氏に鑑定を依頼したところ、イノシシの骨であることが分かりました。

大山氏は、港川フィッシャ-から発見された動物化石の背後には、当然それらを狩猟した人間が存在しており、必ず「人骨」が出土するという確信を持ち、たびたび現地に足を運び、化石骨採集に没頭し、昭和43年1月21日にこの「港川フィッシャ-」から、おびただしい量のイノシシ化石と共に「人骨」らしい化石骨を発見したのでした。

そして、とうとう完全体に近い形での人骨化石を発見したのです。これら化石人骨は5体~9体分と確認され、「港川人」と名付けられました。港川人は年代測定の結果、はじめは約1万8千年前のものと推定されましたが、年代測定の技術が進み、現在では2万2000年前といわれています。



遺跡全景 発見場所
石切り場だったフィッシャー遺跡全景 人骨が発見された場所(資料館ご提供)
案内板 祠
現地の案内板 フィッシャーの祠の拡大、エッ、布袋様?


現在のところ沖縄県では旧石器時代の人骨化石が9ヶ所から発見されていますが、港川人は、ほぼ全骨格が揃っています。国内では、旧石器時代の化石人骨の多くが沖縄の島々で発見されています。それには訳があります。沖縄ではサンゴ礁が隆起してできた琉球石灰岩が広く分布しており、洞穴(鍾乳洞)や地層の割れ目に埋もれていた人骨は、地下水も、炭酸石灰分を多く含んでいるので、化石化して残りやすいのです。沖縄からは港川人のほかにも、3万6000年前の日本最古の人骨化石である山下町第一洞穴人(那覇市)、3万年前のピンザアブ人(宮古島)、2万年前の白保竿根田穴人(石垣市)、1万8000年前の下地原同穴人(久米島)など、いくつもの人骨が発見されています。

このように沖縄では、発見例が多いのに、本土で発見されたのは、浜松市の浜北人骨1例のみです。理由は、九州以北の日本では火山灰が堆積してできた酸性土壌なので、長い年月の間には人骨が溶けてしまいます。石器は発見されても、人骨は残りづらいのだそうです。

ところで、この港川人は、どこからきたのか、最近の研究で分かってきました。港川人はインドネシアで発見されたワジャク人と似ていることから、はじめは東南アジアで生活していたグループが琉球列島を経由して本土にわたり、やがて縄文人になったという説もありました。ところが港川人のあごの骨が華奢で、縄文人とは異なり、オーストラリアの先住民族アボリジニと特徴が似ていることが分かってきたのです。ただし、平成26年に発表になった沖縄県立博物館の最新復元模型は、少し、優しい顔になりました。下に最初の復元図から最新の研究による復元模型を並べてみましたので、見比べてください。世界のどこかからやってきて南に下ったのがアボリジニになってオーストラリアに住み、北に上ったのが沖縄に住み着いて港川人になったなんて壮大な話ですね。しかし、沖縄からもっと北へとは行かなかったのでしょうか?。

しかし、港川人と縄文人とでは、年代がかけ離れています。現在の沖縄人の祖先は、縄文人、あるいは縄文人と弥生人の混血という説があり、民族的にはアイヌ民族と共通するとも聞いています。すると港川人はどこへ行ってしまったのでしょう。旧石器時代と縄文時代との間にある約1万年にも及ぶ人類史上の「空白の期間」は謎となっています。サキタリ洞で平成26年に発見された9000年以上前の人骨、武芸洞で石棺とともに発見された3000年前の人骨の調査研究に期待したいと思います。

この遺跡から発見されたうちの4体の人骨は、東京大学総合研究博物館に収蔵されていましたが、平成19年の沖縄県立博物館のオープンに合わせ、2体が返却されました。現在も沖縄県立博物館が所蔵しています。

このページは、沖縄県立博物館の所蔵文献、サキタリ洞遺跡発掘調査資料、HP「ガンガラーの谷」、現地の案内板などを参考に作成しました。

(注1)旧石器時代…大雑把に言うと、おおむね200万年前から1万年以上前の時代です。従って旧石器人とは、1万年以上前の人をいいます。なお、新石器時代は、磨製石器が使用された時代のことで、世界各地まちまち。HP「Hatena」によれば、南東ヨーロッパでは、紀元前7000年-紀元前3000年、北西ヨーロッパでは、紀元前4500年-紀元前1700年、中国では紀元前7500年-紀元前1500年といわれています。



化石人骨 復元像
発見された化石人骨(八重瀬町HP) 最初の港川人復元図(歴史民俗資料館ご提供)
復元図 復元模型
平成22年復元した想像図(国立科学博物館ご提供) 平成26年、最新の復元模型(沖縄県立博物館ご提供)

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 港川フィッシャー  


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