山川陵(やまがーりょう)





首里城の南にある琉球王家の墓「玉陵(たまうどぅん)」は有名ですが、ここは山川陵といいます。首里城近くの「玉陵」を東の王陵というのに対し、こちらは西の王陵です。

琉球の王陵と呼ばれるのは、「玉陵」、「伊是名玉陵」、「山川陵」、「宝口玉陵」の4ヵ所ですが、「宝口玉陵」は、沖縄戦で消失しました。首里城近くの「玉陵」には国王、王妃、世子、世子の妃を葬りますが、側室や王位につかなかったとされる王族を葬るのが西の王陵・山川陵などの脇墓です。

伊是名玉陵のあるのは第二尚氏の初代国王・尚円の出生地といわれています。また、首里周辺で立地の良い場所として、宝口と山川が選ばれたのでしょう。

山川陵は王家の脇墓で、王妃の墓ともいわれています。当初は王夫人の墓として使用されていましたが、夭死して玉陵に葬られなかった者も祀られており、19代の王尚泰の七男である尚時も葬られています。陵内外には墓名板も碑もないので、一見しただけでは、どういう墓なのかも分かりません。

この陵は、別名「山川の玉陵」ともいわれるほど、格式が高い陵なのですが、造営年は不明です。 西側に1624年造営の金武按司(きん あじ)家の墓があります。その墓の奥には、尚清王の第八男、読谷山王子の墓もあります。

沖縄の神人(かみんちゅ)として知られる渡久地十美子さんは、ここに宇喜也嘉(おぎやか)も眠っているといいます。 宇喜也嘉は、第二尚氏王統初代尚円王(金丸)の側室で、第3代尚真王の母です。しかし、渡久地さんの説では、宇喜也嘉は陰謀を企て、尚円王の正妻とその子たちを暗殺したり、尚円の跡を継いだ第2代王の尚宣威に代わり、我が子を王にするため策略を用いて退位させたり、また尚円王の死後は、夜ごと寝屋に男を引き入れため父の分からない子供を次々に産んでしまったそうです。第3代の王となった尚真は、そんなスキャンダラスな母を潔しとせず、死後、王の一族が眠る玉陵には祀らず、人里離れた辺地である前田むい(現在の浦添市前田)に葬ったといいます。

前述の渡久地十美子さんは、「尚円王妃 宇喜也嘉の謎(ボーダーインク刊)」の著作の中で、渡久地さんご本人が、宇喜也嘉の霊を浦添市前田から西の王陵といわれる山川陵に祀りなおしたと語っています。 宇喜也嘉の厨子甕(骨壺)は、前田むいから盗掘されてありませんが、魂だけはこの山川陵に眠っているのかもしれません。前田むいがどんなところなのか見に行きました。その経緯は ⇒ コチラから


茶房あん 曲がり角
茶房「あん」の下り坂を下り、1本目の曲がり角の石段を下りる
目印 霊魂の碑
この角を曲がる 青色の看板には金武家と書かれている この碑の後方に回り込む
石門 石門

この石門をくぐる

石門を陵内から撮影




山川陵全景



由緒書き 由緒書き
尚清王の第八男、読谷山王子の墓と金文字の碑文
由緒書き 由緒書き
山川陵に隣接する金武按司家の墓 山川陵の正面にダブルツリーヒルトン首里城が見える


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 山川陵 
ここに行くのに、地図を持たずに行き着くことは難しいでしょう。
桃原本通りからは、山川2丁目のバス停近くの茶房「あん」の前の道を下ります。通りの向かいには花のいろ保育園があります。下るとすぐ左に下りる階段があります。ここを下ると、途中で階段が坂になります。雨の日はスリップに注意してください。下りたら右折します。右側に注意しながら親泊さんの家の手前を右折します。突き当たったら霊魂の碑が右側にありますので、その後ろに回り込むと石の門があります。門をくぐれば山川陵です。
私は、最初から地図を持って行ったのですが、道路地図だったので階段の表示がなく、茶房「あん」前の道から階段を降りずに直進してしまったので、山川陵の一本北の道を歩き、那覇市立病院に出てしまいました。2回目にGoogle mapの航空写真でおおまかな場所の見当をつけて出かけ、階段を降りることに気が付き、やっと行き着くことができました。
車のときは、市立病院と真嘉比を結ぶ道路のライオンズマンション松島の交差点を東に向かいます。道なりに進みます。親泊さんの家の角を左折すれば山川陵に出ることができます。Google mapを参考にしてください。ただし、この道は突き当りになるので通り抜けはできません。
山川陵から南を見ると、ダブルツリーヒルトン首里城というホテルが正面に見えます。このホテルは、昔は日航那覇グランドキャッスルという名でした。


 

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