湧田地蔵堂跡(わくたじぞうどうあと)


湧田地蔵堂跡(わくたじぞうどうあと)

ありし日の湧田地蔵堂(現地の案内板の写真をcopy)


現地の碑文には、次のとおり記されています。

地蔵菩薩を安置したお堂跡。 地蔵菩薩は、地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間(にんげん)・天上(てんじょう)の六道(ろくどう)の輪廻(りんね)に苦しむ人々を救う仏とされ、日本では平安時代以降、六道の巷(ちまた)を住処(すみか)とする地蔵と、境を守る道祖神(どうそしん)が習合し、道々の境界に地蔵が祀られるようになった。
湧田地蔵堂は、真言宗の僧侶日秀上人(にっしゅうしょうにん)(1503 〜 1577年)が、1538年に泉崎村の南に位置する湧田村建立した。堂は、赤瓦屋根の中央に擬宝珠(ぎぼし)を載せた八畳程度の平屋で、中央に石柱が立ち、石柱上部は六角の厨子(ずし)の形であった。厨子の中に上人手彫りの木像が安置され、厨子には「欽奉(きんぼう) 六道能化(ろくどうのうげ)地蔵菩薩 現世安穏(げんせあんのん) 後生善所(ごしょうぜんしょ) 大明嘉靖(だいみんかせい)十七年戊戌(ぼじゅつ)三春晦日(みそか) 敬白」の文字が刻まれた。  泉崎・湧田村では地蔵菩薩を村の守護仏として、旧暦の1日・15日、9月9日、10月の「竈まわり(かまマーイ)」等に拝んだとされるが、普段は鬼ごっこや陣取りなどをする子どもたちの遊び場でもあったという。
日秀上人建立の地蔵堂は、湧田の他に、那覇地蔵堂(東村・西村の境)と若狭町地蔵堂があったが、1944年(昭和19)の10・10空襲やその後の沖縄戦により破壊された。



湧田地蔵堂跡(わくたじぞうどうあと) 地蔵堂内部
現地の案内板 地蔵堂内部の厨子(現地の案内板の写真をcopy)


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 湧田地蔵堂跡 モノレール県庁前駅より徒歩約6分。那覇市立開南小学校の南東角


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