御客屋跡(うちゃくやあと)


御客屋跡

現地の案内碑をcopy


御客屋跡の案内碑が、綾門大道(あやじょう うふみち)の安国寺と中山門跡の間の東側にあります。琉球王国は、1609年、薩摩藩の侵攻を受け、表面的には明(みん)国の手前、独立国の体をなしていましたが、実質的には、薩摩藩の支配下にありました。その薩摩藩が琉球に置いた在番奉行などが首里城に用事があるときの控え間として使われた屋敷があったところです。

往時の面影を残すものは何もありません。上の説明と一部、重複しますが、案内碑には、次のとおり記されています。

御客屋跡(うちゃくやあと) 那覇市首里寒川町1-3
薩摩(さつま)藩の在番奉行(ざいばんぶぎょう)などが首里城に登城(とうじょう)する際の控所。 創建年代は不明。敷地は451坪余あったという。在番奉行一行等は、ここで城からの案内を待って登城した。
1879年(明治12)の沖縄県設置後に首里警察署が置かれた。1890年(明治23)に首里尋常(じんじょう)小学校となり、校舎が建てられたが、1912年(明治45)に首里尋常高等小学校として首里城内に移転した。その後に民間の電気会社に払い下げられた。

下の写真:左は沖縄県立図書館デジタル書庫の首里古地図より、右は現地の案内碑。



御客屋 御客屋跡


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 御客屋跡 玉陵(たまうどぅん)の西隣にある安国寺(あんこくじ)の前、道路をはさんだ向かいは県立首里高校です。


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