虎瀬山(とぅらじやま)・佐藤惣之助の歌碑







虎瀬山は、首里城の東北、首里赤平町にある標高約130メートルの琉球石灰岩の丘陵です。頂上の岩石が虎の頭に見えたことから、虎頭山、虎山(とぅらやま)ともいわれ、遠くに海を見渡せる景勝の地として知られています。虎瀬山の景観は「首里八景(しゅりはっけい)」の一つ、「虎山松涛(こざんしょうとう)」と謳(うた)われ、「松」・「月」を歌題に虎瀬山を謳った詩歌が多く残されました。

しかし、沖縄戦で松林は焼失し、戦後、一部は宅地化されましたが、頂上一帯は虎瀬公園として整備されました。園内には佐藤惣之助の陶器でできた歌碑があります。佐藤惣之助と聞いたとき、どこかで聞いたことのある名前だとは思いましたが、あの有名な人だとは気がつきませんでした。あの有名なというのは、私の年代なら誰でも知っている「人生の並木路」「赤城の子守歌」「大阪タイガースの歌(通称六甲おろし)」などの作詞家だったからです。ほかにも「緑の地平線」「青い背広で」「人生劇場」など、作曲家、古賀政男と組んでヒットさせた曲を数え出したら切りがありません。この公園の碑は、昭和34年に惣之助の出身地である川崎市から、那覇市との友好と文化的交流親善を深めるために贈られたもので、最初は旧琉球大学敷地内(現首里城公園)に設置されましたが、首里城復元にともない平成4年に この地に移されたそうです。

歌碑には「しづかさよ 空しさよ この首里の都の宵のいろを 誰に見せやう 眺めさせやう(詩集の「宵夏」の一節)」と刻まれています。佐藤と沖縄の関係は、佐藤が大正11年5月から7月にかけ、沖縄に旅し、『琉球諸島風物詩集』(大正11年12月刊)を上梓したこと。新人教育にも力を入れ、津嘉山一穂(つかやまいっすい)、伊波南哲(いばなんてつ)など多くの沖縄出身の詩人を育てたことなどがあげられます(以上、HP「那覇市内史跡、旧跡」などより)。

なお、佐藤惣之助という人は、神奈川県川崎市で生まれ。明治から昭和にかけて活躍した人で、最初の妻の死亡後、再婚したのは萩原朔太郎の妹でした。そして、義兄の朔太郎が死亡した4日後、51歳の若さで、脳溢血のため急逝しました(Wikipediaより)。





首里城から虎瀬山方面を望む。右上の松林が虎瀬山です。大正14年ころ撮影。上の石碑の写真を拡大したものです。
頂上から那覇市内方面の暮景。遠く、海も見えています。


地図をご覧になる方はコチラから ⇒虎瀬公園 住所は、首里赤平町2-67です。ゆいレール儀保駅より徒歩約10分です。公園に入る道は1ヶ所しかありません。ゆいレール道路沿いの「ライオンズマンション汀良(てら)」の角を曲がってください。この道を見逃すと行きつけません。公園内は見取り図もないため、歌碑がどこにあるかわからず、公園内を探し回ったら、頂上部分から西北に少し降りたところにありました。


  ナビゲーションはトップページにあります。

   TOPページへ

Copyright © 2015 ハイホーの沖縄散歩 
logo