澤岻親方(たくし うぇーかた)の墓


澤岻親方の墓


澤岻親方というのは、今から500年くらい前の琉球王国の役人です。親方(うぇーかた)というのは、三司官(注1)に次ぐ上級役人です。実は尚巴志(注2)の武将で、座喜味城を完成させたり、中城城を増築したことでも知られる護佐丸の孫にあたる人物です。

この墓の上には「王舅達魯加禰国柱大人寿蔵之銘」(おうきゅうたろかねこくちゅうたいしんじゅぞうのめい)を題した碑文があります。この碑文には、明の皇帝即位の慶賀使として中国に渡り、その帰途、王の腰掛ける鳳凰橋と瑞泉の吐水口の龍頭を持ち帰り、これらの功績により墓地を拝領したと書かれています。

分かりやすくご説明すると、首里城の瑞泉門に続く階段の途中に龍樋(りゅうひ)といういう泉があります。その龍樋で水を吐き出しているあの龍の口は澤岻親方が中国に行ったときに買い求めてきたものだったのです。それに加え、王様が腰かけるカゴ(鳳凰轎)も王様にプレゼントしたことで王が大変喜び、そのご褒美として生存中にお墓を拝領したというということが、下の写真のように墓の上の碑文にあると、那覇歴史博物館のHPに書いてありました。漢文ですので、私には読めません。

この墓の特徴の一つに石造りなのに、一番下の写真のように、屋根の部分が板葺きのように造られていることです。この造りの特徴は玉陵や園比屋武御嶽石門と同じような造りです。こういう造りの墓は、時折見掛けますが、身分の高い方を葬っており、かつ古い形式の墓によく見られます。


石碑 首里城の龍樋
 墓の入口にある石碑 澤岻親方は、この龍頭を明国から持ち帰った
碑文 拓本
墓の上の石盤 左の碑文の拓本(沖縄県立図書館、貴重資料デジタル書庫より)


板葺き風



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 澤岻親方の墓 Googleの地図表示は間違っています。赤いしるしの所が正解です。この辺りは、りっぱなお墓がたくさんあります。澤岻親方の墓は入口の石碑に名前がありますが、東氏宋家の他は、ほとんどが名前の書いていない墓なので、お間違いのないように。私は、このGoogle地図を持って出かけたので、違うところを歩いていました。通りがかりの住民の方にお尋ねしましたが、お一人は「聞いたことがないネェ」、次に会った方は「ソレ、誰?」と聞かれました。3人目の方は、「澤岻って浦添市ですよ」と教えてくれましたが、国王から拝領したお墓はここにあるのです。


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