宝口樋川(たからぐちひーじゃー)




宝口(たからぐち)とは、那覇市首里儀保町4丁目一帯を指す地名のことです。由来はよく分かっていないようです。一帯には1682年に壼屋村(現那覇市壼屋)に統合された「宝口窯(たからぐちがま)」と呼ばれる古窯があったといわれています。宝口樋川は共同井戸のことで、どんな干ばつでも決して涸れることがなかったといわれ、現在でも水が湧き出ています。この水は、飲料にも洗濯など生活用水にも使い、紙漉きも行われていました。

由緒書きには次のように書かれています。 市指定史跡 指定 1951(昭和51)9月28日
宝口樋川は、真嘉比沿いの急ながけの下に設けられています。そのため、背後は沖縄独特のあいかた積みと呼ばれる石積みで、極めて頑丈に作られています。樋川の前は、石畳になっています。現在あるコンクリートの水槽は、飲料用と洗濯用に水をわけたもので、昭和初期につくられました。
もとは入口にあった「宝樋」碑によると、1807年、この樋川を開いたのは当蔵村の平民たちで、その功績によって位階を賜り、その後1842年に大修理を加えた赤田村の平民宮城は士分に取り立てられました。
かつては、ジブガーフィージャーと呼ばれ、昔から豊かな水に恵まれ、干ばつにも枯れることのない重宝な樋川でした。近年は樋川の背後が開発され、一時期より水量が落ちていますが、市内でも指折りの湧水量を誇っていることに変わりありません。
那覇市教育委員会





紙漉所跡の碑










宝口樋川の少し上流から真嘉比川を撮影したものです。橋の角には紙漉所跡の碑があります。



後日、再訪問したら、すべての吐水口から勢いよく水が出ていました。


地図をご覧になる方はコチラから ⇒宝口樋川 ゆいレールの儀保駅から少し西に向かうと、宝口樋川の石柱があります。ここを左折し、橋の手前を右に入って行きます。その角には紙漉所跡の碑が建っています。樋川は石段を降りたところにあります。石段は滑りますのでご注意ください。駐車場はありません。車のときは末吉公園の駐車場が利用できます。


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