袋中上人行化碑 (たいちゅうしょうにん ぎょうけひ)


袋中上人行化碑

袋中上人行化碑


袋中(たいちゅう)上人は、天文21年1月29日(1552年2月23日)− 寛永16年1月21日(1639年2月23日))は、江戸時代前期の浄土宗の学僧。陸奥国磐城郡の出身で まだ見ぬ仏法を求めて明に渡ることを企図し、渡明の便船を求めて琉球王国に滞在。滞在中に琉球での浄土宗布教に努めました。なお、行化碑とは記念碑という意味と思われます。

また、沖縄の伝統芸能として今に伝わる「エイサー」は、精霊送りの時に行われる盆踊りがもとになっているとされ、その起源は、袋中上人が浄土念仏とともに伝えた念仏踊りにあると考えられ、「エイサーの祖」といわれています。

袋中上人碑

袋中上人行化碑は松山公園の奥まった一角の、那覇商業高校北側の塀に接して建っています。石碑は3mほどの高さで、大正13年(1924)に建立されたものです。表面が風雨などで汚れ、上の写真のように碑文の判読は出来ません。

その左横には「袋中上人来流400年頌徳慶讃法要厳修の碑」があります(写真:左)。

碑文に、「慶長8年(1603)、浄土宗の僧、袋中上人は縁あって来流。法然上人念仏の教えを弘め、故郷岩城(福島県)「じやんがら念仏」を普及、現在沖縄の伝統芸能「エイサー」となる。時の琉球尚寧王は上人に深く帰依、桂林寺を建立。ここ松山公園はその跡地である」と、記されています。



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