首里市跡(しゅりまちあと)




県道29号線の「池端」交差点の一角に碑が立っています。琉王朝時代に市場があったところです。最初は、「首里市跡」って首里市役所があった場所かと思いましたが、説明を読んで間違いに気がつきました。首里の市場跡という意味とは思いつきませんでした。「市」は確かに「市場」の「市」ですが、それを「まち」と読ませるなんて紛らわしいですね。石碑が立っているだけで、市場の跡地は住宅地となっています。往時の面影を残すものは何もありません。



現地の碑文をご紹介します。

首里市跡(シュリマチアト) 那覇市首里池端町地内

琉球王国時代から明治期にかけての首里の市場跡。大市(ウフマチ)ともいう。
この一帯は首里地域最大の市場であったため、地名も市場の側(そば)を表す「町端(まちばた)」という。肉・魚・野菜などの生鮮品や古着、壷(つぼ)などの日常品のほか、近郊地域からも品物が持ち込まれて販売された。
遅くまで賑わいを見せ、「町端の二度夕飯(ニドユーバン)」(売れ残りを料理すること)という言葉も伝わっている。明治期以降、玉陵(タマウドゥン)付近に市場(真和志(マージ)マチ)が移ったため、1920年(大正9)に、町端の地名は、龍潭(りゅうたん)池にちなみ「池端(いけはた)」と改称された。



ということで、この辺りは首里池端(いけはた)町といいます。なお、旧首里市の町名は、那覇市と合併したとき、首里〇〇町という具合に町名の前に首里の2文字が付きました。旧士族が多く住んだ町ですので、他とは違うという差別化をしたのでしょうね。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 首里市跡 


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