久米至聖廟(くめしせいびょう 孔子廟)・明倫堂


久米至聖廟

孔子廟 至聖廟
大成殿 石碑

久米至聖廟(孔子廟)は、那覇市久米村に建てられた儒学の祖・孔子とその門弟(四配:顔子・曾子・子思子・孟子)を祀る廟です。久米村の史跡は同じような名称が多く、戦災などによる移転が行われていますので、現地と案内書の解説が異なることがあり、読んでいて場所が違うことに気が付くことがあります。別ページにある久米至聖廟は、国道58号線沿いにあり、孔子の像が建っています。今回ご紹介するのは、福州園の西、クニンダテラスに隣接した新しい建物です。また、西武門(にしんじょー)の西にある天妃宮・天尊廟は、以前の至聖廟です。

久米村総役紫金大夫金正春が、孔子廟建立を尚貞王に願い出て許可を得、寄付や公費により泉崎橋頭の久米村の地に朱塗りの廟が完成しました。さらに孔子や四配の塑像を安置して1676年(延宝4年)新築落慶しています。聖廟で行われる釋奠祭禮(注1)はこの年から始まり、戦争前まで旧暦2月と8月の最初の丁(ひのと)の日の年2回行われてきました。

明治以降、至聖廟の国有化、那覇区への譲渡、久米崇聖会への譲渡を経て来ましたが、先の第2次世界大戦で廟など全て焼失しました。現在孔子像の立つ国道58号線沿い那覇商工会議所隣の至聖廟跡地はかつて石垣とふくぎの木々に囲まれた800坪余の廟地でしたが、米軍が軍道1号線を通したため敷地が分断され、同じ場所での復興が不可能となり、至聖廟の復興を願う久米村の人々は若狭の天尊廟跡を選び、昭和50年に天妃宮・天尊廟と合わせて至聖廟(天尊廟地)を建立しました。


しかし久米村の人々はゆかりの地での至聖廟再興を願い続け、平成26年、那覇市の協力を得て久米の地へ至聖廟(久米至聖廟)を建設しました。昭和19年に戦争で焼失してから69年、若狭での復興から38年を経て久米の地へ帰ってきました(久米崇聖会HPより)。
(注1)釋奠祭禮(せきてんさいれい)…孔子の生誕を祝う祭礼。誰でも参加できます。孔子廟の正門(中央の門)は、釋奠祭禮の行われる9月28日だけ開きます。


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 久米至聖廟 

 

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