薩摩藩在番奉行所(さつまはん ざいばんぶぎょうしょ)跡


薩摩藩在番奉行所跡


石碑の絵図

那覇綱引図(「綱引」という字は、那覇の場合は「綱挽」の字を使う)


那覇市西町に残る薩摩藩在番奉行所跡です。

薩摩藩在番奉行所とは何か?といいますと、琉球が王国だった17世紀の初頭、突然、薩摩藩が琉球に侵攻しました。武力に勝る薩摩軍は、わずか1ヵ月で琉球を制圧し、以来、250年にわたり琉球を実質的に支配しました。その際に、薩摩藩の出先機関として設置されたのが在番奉行所でした。この奉行所は、在番仮屋(ざいばんかいや)とか、大仮屋(うふかいや)とも呼ばれ、在番奉行以下、付役という与力や筆者(事務官)や横目(監察)4人はじめ計20人ほどが常勤し、薩琉間の公務の処理や貿易の管理にあたったと記録に残っています。

その後、1872年(明治4)の琉球藩設置後、外務省、ついで内務省出張所となり、さらに1879年(明治12)の沖縄県設置で仮県庁、1881年(明治14)から沖縄県庁となり、1920年(大正9)に現在地(泉崎1丁目)にへ移転するまでは、ここ那覇四町(なはゆまち)が県政の中心地でした。奉行所の前は「道ぬ美らさや仮屋ぬ前(みちぬチュらさやかいさぬめー」と唄われ、現在は那覇市久茂地が中心となって行われている那覇大綱引きも、当時は那覇四町の通りで行われたそうです。上の碑文の絵図「那覇綱引図」の中央が奉行所で、この絵には見物する役人たちも描かれています。

なお、那覇四町とは、西村、東村、若狭町村、泉崎村のことをいいます。この地名は、現在も西町、東町、若狭町、泉崎町と、そのまま使われています。

この碑は、琉球光和ビルの前に建っています。

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