先原埼( さちばるざち )灯台跡(那覇市)


先原埼灯台

案内碑の写真をcopy ありし日の先原埼灯台


那覇空港の北側にある小高い丘に塔が立っています。ここは、沖縄で最初に建てられた先原崎(さちばるざち)灯台が建っていたところです。

ここにあった灯台は那覇港に出入りする船舶の航行安全を図るため、1896(明治29)年に沖縄本島中部の中城湾津堅島とともに沖縄で初めて建てられたレンガ造りの灯台でした。高さは12メートルありました。しかし、1944(昭和19)年10月10日の米軍の空襲で、灯台は跡形もなく姿を消しました。いまは台座だけが残っているそうです。 現在も、その場所に下の写真:左のような塔が建っていますが、これは灯台ではなく、米軍の標識塔です。 

この場所は「国土交通省那覇空港交通管制部」の敷地内にあるため、一般の人は許可がないと敷地の中には立ち入ることが出来ません。入り口で中に入りたい理由など、申請書に必要事項を記入すれば入れてもらえるとネット情報にありましたが、外からでもネットフェンス越しに拝所は見えますので、中には入らずに引き帰しました。

入り口の右に建てられた案内碑には、次のとおり記されています。
中城湾津堅(なかぐすくつけん)島の灯台とともに、沖縄で最初に建てられた灯台跡。
1896年(明治29)に陸軍省臨時台湾燈標建設部により、島尻郡小禄間切安次嶺村(しまじりぐんおろくまぎりあしみねむら)の地先、崎原(サチバル)の突端岩礁(通称崎原グスク)の上に、高さ12mでレンガ造りの灯台及び官舎・倉庫が建設された(1月10日起工、9月15日竣工(しゅんこう))。同年11月25日に初点灯が行われ、以後、赤光・緑光二色の灯光で付近の干瀬の場所を示し、那覇港に出入りする船舶の航行安全を図った。灯台には逓信省(ていしんしょう)の職員2人が置かれ、昼夜交代で勤務した。
1900年(明治33)4月には那覇港入口三重城(ミーグスク)にも、無人の灯台が設置され、先原崎灯台職員が定期的に見回って点検を行った。
1945年(昭和20)の沖縄戦で灯台は破壊され、跡地は米軍により航路標識塔が建てられた。現在、付近一帯は那覇航空交通管制部の敷地となっているが、岩礁の上には煉瓦(れんが)の礎石(そせき)や米軍の標識塔が残されている。
なお、この地は、1816年琉球に来航したバジル・ホール一行が、海に突き出た岩礁の岩肌を修道院の壁に見立て「アビィ・ポイント」(修道院岬)と名付けた場所で、1853年来航のペリー提督一行の記録にも「岬は樹葉で覆われ、その先端の苔生(こけむ)した岩肌の岩石は、岬の名を示唆している」と記述されている。

空港から1kmくらいで、歩くと約15分くらいかかります。



標識塔 案内碑
これは灯台ではなく、米軍の標識塔 案内碑


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 先原埼灯台跡 

 

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