崎山(さきやま、さちやま)御嶽


崎山御嶽


那覇市首里崎山(さきやま)町の崎山公園内の南の一角に拝所があります。崎山御嶽といいます。崎山は、「ざきやま」ではなく「さきやま」と読みます。古くは「さちやま」とも呼んだようです。

琉球の建物は、今では瓦葺きは珍しくありませんが、昔は板葺きが主流でした。しかし、崎山御嶽には、琉球でも史跡から瓦が出土したことが確認できるわずか5か所のうちの一つです。5ヵ所というのは、首里城、浦添グスク、勝連グスク、クニンダ(久米村)、そして崎山御嶽です。王や華人の館に混じって崎山御嶽がありますので、崎山御嶽は王か、王に準ずる人の館があったことが想像できます。史書「琉球王国由来記」によると、察度王の子で崎山里主(さちやまさとぅぬし)の住居跡と伝えられています。察度王の子ということは、尚巴志と戦って敗れた武寧王の弟か異母弟ということになります。
沖縄から出土する瓦は、明朝瓦、大和瓦、高麗瓦がありますが、ここから出土したのは高麗瓦です。



崎山御嶽碑文

崎山里主は、琉球八社の首座である波之上宮の起源にかかわったとされており、Wikipediaには『崎山里主という者が釣りをしていると、ある日浜辺で「光り、ものを言う」霊石を見つけた。この石に祈るたびに豊漁となるので、諸神がこの霊石を奪おうとした。そこで里主が当地へ逃れると「吾は熊野権現也、この地に社を建て祀れ、然らば国家を鎮護すべし」との神託があった。里主は琉球王府にこれを奏上し、社殿が創建された。』 とあります。

拝殿に当たる門は、1865年に木造の瓦葺から切妻破風型の石造りのアーチ門に改造されましたが沖縄戦で破壊され、現在ではコンクリート造りの門になっていますので、往時の姿を偲ぶことはできません。

左は、現地の碑文です。



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