蓮小堀・蓮華院跡(りんぐむい・れんげいんあと)




龍潭通りから万松院に向かう途中の道路脇、自治会掲示板の横に碑が立っています。

現地の案内碑には、次のとおり記されています(原文のまま)。

蓮小堀(リングムイ)は、首里城の北東に位置する人工の池。尚巴志(しょうはし)王代(1422 〜 1439年)首里城整備のために土を掘り出した跡が池になったとされ、蓮(はす)に覆われていたことから名付けられた。池の広さは約2,000坪あったといい、約800坪の半島が池中に突き出ていた。
沖縄戦(1945年)の後も蓮小堀は残っていたが、1958年(昭和33)に琉球大学グランド造成のために円覚寺(えんかくじ)裏山が削られた際、その土砂で埋め立てられた。その後一帯はバスターミナル、次いで図書館などの公共施設が建設された。
蓮華院(れんげいん)は、琉球王国時代の臨済宗(りんざいしゅう)の寺院で、天王寺(てんのうじ)の末寺。万歴(ばんれき)年間(1589〜1619年)の創建とされる(創建時の所在地は不明) 。当初は、岩頂山万松院(がんちょうざんばんしょういん)と称したが、18世紀中頃までには「蓮小堀」の半島に移設されたと思われ、後に妙法山(みょうほうざん)蓮華院と改められた。1907年(明治40)頃に糸満(いとまん)村(現糸満市)に移転、跡地は個人所有の別荘となった。

糸満市に移転した蓮華院は、糸満ロータリーの東、約150メートル、沖縄最大の門中墓「幸地腹・赤比儀腹両門中墓」と県道を挟んだ北側にあります。何度も近くまで行っていますが、移転した蓮華院があることを知りませんでした。糸満市のHPにも掲載されていないようなので、マイナーな存在のようです。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 蓮小堀・蓮華院跡 碑は万松院の向かいにあります。当蔵町自治会の掲示板と並んでいます。徒歩の方は、直進すれば建善寺跡、首里城に出ることができます。車は行き止まりです。


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